Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

反省とは何か

2010-06-05 10:05:08 | 日記

この頃反省という言葉の意味をよく考える。反省していることを口に出すがさっぱり悪い癖が直らない人がいるためだ。実は自分もそうだからである。きっと反省が足りないからだろう。しまいには○○は死ななきゃなおらないというのが究極の真実と思ってしまう。しかし、それで片付けるのでは悔しい。

反省は英語でなんていうのだろう。”regret"というのも違う。regretは「こうしなければよかった」という単なる後悔である。「反省してま~す」なんて軽くいうのはもう言葉のゲーム。これ以上つべこべ言われないよう、そこでピリオドを自ら打って相手に何も言わせない。あいつなかなか反省しないんだよなんて言う場合、意外とかえってそういう人こそ後で反省するのである。その場で軽く反省なんてできるものではない。家に帰って本当に自分は反省すべき行為をしたのかから考えないとわからない。

反省は単にこうしなければよかったという程度の二者択一的な選択の誤りではなく、より内省的なものである。反省しても同じ過ちを犯す人はその内省部分が十分ではなかったり、頭でわかったつもりでもその悪さをする自分を抑制する自己規律が欠如していることになる。

実は自己規律というのが非常にむずかしい。会社とか学校とか組織の中に生活していると自分以外の他者の管理により自己規律がいいかげんでも最低限の規律は強いられる。ところが自分に許された自由の中での規律となると自分以外に抑制する人間がいないから困難なのである。

反省を和英辞書でひくとsoul searchingとかreflectionとか出てくる。あまり聞かないなぁ。反省という考え方自体日本の文化のなだろうか。自己内省を人にひけらかす文化ではないのかもしれない。反省はmy busineeで人には、自分が考えがなくてそうしたわけではないことを証明する詭弁さを大切にする文化なのかもしれない。だから日本でいう反省は、アメリカでは黒白はっきりつけて、こうしたのは間違いだったというregretという言葉に置き換えられてしまうのかもしれない。

常々反省してもなおらない人(自分も)を見ていて、反省にどれほどの意味があるのだろうかと思うこともある。だから反省しろと言うこと自体間違ってはいないが、もっともっと掘り下げて省みてそういう自分を客観視し、なぜそういう行動に出たかなぜそうならざるを得なかったのか、ほかに方法がなかったのなか、立ち直るには具体的に何をどうしたらよいのかまでのアクションプランを組み立てるという一連のプロセスが必要だと思う。

同じ過ちを1回で修正できる人と何度も繰り返す人の違いは愚かそうじゃないかのの一言で片付けられるものでもない。重要性の比重、甘えの存在、緊張感の欠如等等。

究極の反省とは自分を知ることなのかもしれない。