読売新聞の一面に「編集手帳」(コラム)があります。23年度版の冊子が手に入り改めて読み直しました。
3月11日以降の記事は今もって涙がながれます。「時は流れる」と言うけれど、流れない」「時」もある。
3.11の震災は現在進行形で決して「過去」にしてはならないと強く思います。
前線もようやく例年並みに咲きだしてお花見日和となりました。花よし、お酒よし、御馳走よし、でも、この春、花でも、酒でも、御馳走でもなく、生きている身のありがたさに感謝して供養の花見にしたい。大正期の詩人で山村暮鳥の「桜」より
さくらだという/春だという/ちょっとお待ち/どこかに泣いている人もあろうに
忘れられないこともありますね。
震災ではないですが、私は同級生を何人も亡くし
未だに忘れられなく悲しくて信じられません。
それでも生きていくからには、みんなの分まで
頑張って生きていきたいと思う日々です。
今年も桜を見ながら色々な想いを抱えて
見るのでしょうね。
追悼の気持ちをもって
今年の桜を眺めたいと思います。