亮は雪の叔父の倉庫にて、蓋の閉まったピアノに触れていた。
どこか力の入りきらない左手で。
ひやりとした感覚が、指先から伝わってくる。
感覚は亮の記憶を刺激して、今となっては実現不可能な未来を夢想させる。
嫌がりながらも、コンクールの度につけていたボウタイ。
しかしもうあの過去には戻れない。ボウタイをつけるような未来は、もう永久にやってこない‥。
亮は冷たいピアノに触れながら、思うように動かない左手に目を留めた。
鍵盤蓋をなぞった時、不意に後ろから声を掛けられた。
聞き慣れた声が、「お前、」と亮を呼んだ。
振り返ると、そこに見飽きた顔があった。
「ピアノが弾きたいのか?」
ニヤリと口元を歪めた淳を見て、亮はあんぐりと口を開けた。
そして淳の後ろで雪もまた、亮と同じ表情をしていた。
そして亮と雪は同時に淳を責め出した。
二人どちらにとっても、淳のその言葉は予想外のものだったのだ。
「な‥なに言ってやがんだ!突然現れてバカ言いやがって‥!」
「そうですよ!何をいきなり‥!」
亮が食って掛かり、雪が彼の背中をポカポカ叩く。
しかし淳の表情は変わらなかった。その飄々とした態度のまま、尚も言葉を続ける。
「ピアノを弾きたいのかと聞いてるんだが」
「はぁ~~~?!」
冷静にそう口にする淳を前にして、亮の怒りボルテージがぐんぐんと上がっていった。
ピアノが弾けなくなったのは、元はといえばこいつのせいではないか‥。
亮は思わず拳を握り、彼に向かって振り上げた。
「この腐れ野郎‥!死にてーか?!」 「志村明秀」
しかし亮の拳が振るわれることは無かった。淳がその名刺の名前と肩書を、読み上げたからだった。
「ピアノ科教授。知っている人間か?連絡をもらったんだが」
掲げた名刺が放つバリアで、亮はそれ以上淳に近づけなくなった。
膠着状態の二人は、その場で睨み合う。
そんな中雪は淳の行動を目の当たりにして、一人顔を青くしていた。
”ただ名刺を渡すだけ”という名目など、淳にとってはハナから無かったようなものなのだ‥。
「ふぅん、」と言いながら淳は、己を睨む亮越しに一台のピアノに目を留めた。
彼の隣で呆気に取られる雪など気にせず、淳は亮に向かって話し続ける。
「大学やらここやらを覗きに来るということは、未練があるんだろう?
それじゃあ弾けよ。ほら、何してるんだ?」
畳み掛けるようにそう言葉を続ける淳に、亮は眉を寄せて歯噛みした。
何の非も感じていないと言わんばかりのその態度に、苛立ちが募っていく。
淳は尚も話続けた。
「ところで再びピアノを弾くならリハビリが必要なんじゃないか?
それならこんな風に転々としてないで、まずはリハビリから始めるべきだろう」
いけしゃあしゃあと言ってのける淳に、亮は食って掛かろうと声を上げかけた。
しかし亮の勢いを断ち切るように、淳はニヤリと笑ってこう言った。
「お前、留学するか?」
突然の淳の申し出に、亮はハッと息を呑んだ。
まるで予想もしなかったその提案に、亮はたじろぎながらその場で固まる。
しかし淳は、彼のその態度も想定内だと言わんばかりだ。
「留学先でリハビリを受けて、また勉強も始めればいい。興味あるか?」
亮は拳を握り締めながらも、淳の語るその未来を突っぱねられなかった。
そして淳は亮が何も言えないでいるのをいいことに、更に話を進めていく。
「留学に行きたいなら、いつでもそう言ってくれ。お父さんも俺も、
亮がもう一度ピアノを弾くことを望んでいるんだ‥」
耳当たりの良い言葉とは裏腹に、淳はニヤリと口角を歪めた笑みを浮かべていた。
長い前髪でその瞳は窺えないが、どんな視線で亮を見ているのか、雪には分かる気がした。
言葉を超えて伝わるものがある。その口元に、その視線に、真実が宿っている。
去年から彼と関わってきた分、雪は彼の心の中にある黒い部分が見える気がした。
「もう止めて下さい!!」
気がついたら、雪は淳と亮の間に割って入っていた。
淳の手から名刺をもぎ取り、そのまま亮に押し付ける。
雪は淳に食って掛かった。
「河村氏の人生は河村氏が決めますよ!」と。
しかし淳は表情を変えぬまま、まるで当然のことのように反論する。
「だから今助けようとしてるじゃないか。留学に行きたいかと尋ねることに、何か問題が?」
そう平然と切り返してくる彼に雪は幾分虚を突かれたが、
しっかりと淳を見据えて反論した。自分の思うところを、正直に。
「‥ここでなぜ留学の話が出てくるんですか?すごく唐突に感じるんですが」
雪の意見に、「そうかな」と淳はそっけなく答えた。
あえて言うなら、と雪は前置きをして更に話を続ける。
「ただ”教授のところへ行って一度話を聞いてみれば”と言えばいい話じゃないんですか?」
雪の意見には答えず、淳は自分の提案の裏付けを話し始めた。
「亮は留学の価値があるほどのピアニストなんだ。
だからこそ、今のようなどっちつかずの状況が残念でならないんだよ」
それは一見、亮を心配した幼馴染みとしてのものだった。彼の未来を懸念して、より良い未来を提示するというような。
しかし雪の胸中は騒いだ。疑念のこもった目で彼を見つめる。
そして雪の脳裏に数々の場面が浮かんで来た。
去年彼に対して不信を感じた、苦い場面ばかりが‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<彼らの意図(1)>でした。
淳の本性、出てますね~。
自分の動かしたい方向へ物事をコントロールする才覚には目を見張るものがあります。
淳はとにかく亮を遠くにやりたいんですね‥^^;動機は子供っぽくも、やり方は狡猾‥。難しい人です。
そして亮の腕がなにげにマッチョ!
次回は<彼らの意図(2)>です。
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どこか力の入りきらない左手で。
ひやりとした感覚が、指先から伝わってくる。
感覚は亮の記憶を刺激して、今となっては実現不可能な未来を夢想させる。
嫌がりながらも、コンクールの度につけていたボウタイ。
しかしもうあの過去には戻れない。ボウタイをつけるような未来は、もう永久にやってこない‥。
亮は冷たいピアノに触れながら、思うように動かない左手に目を留めた。
鍵盤蓋をなぞった時、不意に後ろから声を掛けられた。
聞き慣れた声が、「お前、」と亮を呼んだ。
振り返ると、そこに見飽きた顔があった。
「ピアノが弾きたいのか?」
ニヤリと口元を歪めた淳を見て、亮はあんぐりと口を開けた。
そして淳の後ろで雪もまた、亮と同じ表情をしていた。
そして亮と雪は同時に淳を責め出した。
二人どちらにとっても、淳のその言葉は予想外のものだったのだ。
「な‥なに言ってやがんだ!突然現れてバカ言いやがって‥!」
「そうですよ!何をいきなり‥!」
亮が食って掛かり、雪が彼の背中をポカポカ叩く。
しかし淳の表情は変わらなかった。その飄々とした態度のまま、尚も言葉を続ける。
「ピアノを弾きたいのかと聞いてるんだが」
「はぁ~~~?!」
冷静にそう口にする淳を前にして、亮の怒りボルテージがぐんぐんと上がっていった。
ピアノが弾けなくなったのは、元はといえばこいつのせいではないか‥。
亮は思わず拳を握り、彼に向かって振り上げた。
「この腐れ野郎‥!死にてーか?!」 「志村明秀」
しかし亮の拳が振るわれることは無かった。淳がその名刺の名前と肩書を、読み上げたからだった。
「ピアノ科教授。知っている人間か?連絡をもらったんだが」
掲げた名刺が放つバリアで、亮はそれ以上淳に近づけなくなった。
膠着状態の二人は、その場で睨み合う。
そんな中雪は淳の行動を目の当たりにして、一人顔を青くしていた。
”ただ名刺を渡すだけ”という名目など、淳にとってはハナから無かったようなものなのだ‥。
「ふぅん、」と言いながら淳は、己を睨む亮越しに一台のピアノに目を留めた。
彼の隣で呆気に取られる雪など気にせず、淳は亮に向かって話し続ける。
「大学やらここやらを覗きに来るということは、未練があるんだろう?
それじゃあ弾けよ。ほら、何してるんだ?」
畳み掛けるようにそう言葉を続ける淳に、亮は眉を寄せて歯噛みした。
何の非も感じていないと言わんばかりのその態度に、苛立ちが募っていく。
淳は尚も話続けた。
「ところで再びピアノを弾くならリハビリが必要なんじゃないか?
それならこんな風に転々としてないで、まずはリハビリから始めるべきだろう」
いけしゃあしゃあと言ってのける淳に、亮は食って掛かろうと声を上げかけた。
しかし亮の勢いを断ち切るように、淳はニヤリと笑ってこう言った。
「お前、留学するか?」
突然の淳の申し出に、亮はハッと息を呑んだ。
まるで予想もしなかったその提案に、亮はたじろぎながらその場で固まる。
しかし淳は、彼のその態度も想定内だと言わんばかりだ。
「留学先でリハビリを受けて、また勉強も始めればいい。興味あるか?」
亮は拳を握り締めながらも、淳の語るその未来を突っぱねられなかった。
そして淳は亮が何も言えないでいるのをいいことに、更に話を進めていく。
「留学に行きたいなら、いつでもそう言ってくれ。お父さんも俺も、
亮がもう一度ピアノを弾くことを望んでいるんだ‥」
耳当たりの良い言葉とは裏腹に、淳はニヤリと口角を歪めた笑みを浮かべていた。
長い前髪でその瞳は窺えないが、どんな視線で亮を見ているのか、雪には分かる気がした。
言葉を超えて伝わるものがある。その口元に、その視線に、真実が宿っている。
去年から彼と関わってきた分、雪は彼の心の中にある黒い部分が見える気がした。
「もう止めて下さい!!」
気がついたら、雪は淳と亮の間に割って入っていた。
淳の手から名刺をもぎ取り、そのまま亮に押し付ける。
雪は淳に食って掛かった。
「河村氏の人生は河村氏が決めますよ!」と。
しかし淳は表情を変えぬまま、まるで当然のことのように反論する。
「だから今助けようとしてるじゃないか。留学に行きたいかと尋ねることに、何か問題が?」
そう平然と切り返してくる彼に雪は幾分虚を突かれたが、
しっかりと淳を見据えて反論した。自分の思うところを、正直に。
「‥ここでなぜ留学の話が出てくるんですか?すごく唐突に感じるんですが」
雪の意見に、「そうかな」と淳はそっけなく答えた。
あえて言うなら、と雪は前置きをして更に話を続ける。
「ただ”教授のところへ行って一度話を聞いてみれば”と言えばいい話じゃないんですか?」
雪の意見には答えず、淳は自分の提案の裏付けを話し始めた。
「亮は留学の価値があるほどのピアニストなんだ。
だからこそ、今のようなどっちつかずの状況が残念でならないんだよ」
それは一見、亮を心配した幼馴染みとしてのものだった。彼の未来を懸念して、より良い未来を提示するというような。
しかし雪の胸中は騒いだ。疑念のこもった目で彼を見つめる。
そして雪の脳裏に数々の場面が浮かんで来た。
去年彼に対して不信を感じた、苦い場面ばかりが‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<彼らの意図(1)>でした。
淳の本性、出てますね~。
自分の動かしたい方向へ物事をコントロールする才覚には目を見張るものがあります。
淳はとにかく亮を遠くにやりたいんですね‥^^;動機は子供っぽくも、やり方は狡猾‥。難しい人です。
そして亮の腕がなにげにマッチョ!
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この場面のユジョン、しれっとした顔しながら悪意のカタマリです。親切と見せかけて金に物を言わせて他人を思い通りに操ろうとする…ペクインハへの退去通告の時もそうでしたけど、こういう人間、個人的には正直、ついていけません。
それでも、その悪意をわかった上でこんなのを頑張ってフォローするソルちゃん。そこまでする子を通してでないと、この男の物語は動き出さないんでしょうね。
付き合ってる人にやさしくするのは皆当たり前の行動ですが、他人に対しての態度こそ本来の人間性がわかりますよね。
こんなに悪意だだ漏れ(しかも過去自分もやられてる)な先輩に恋心が継続するあたり、雪ちゃんの人のいいとこをなんとか見つける(あるいは信じる)懐の深さと能力に感心します。
私なら即ギブです…。(まあこんなイケメンに好かれる夢のような機会に恵まれることもないでしょうが。)
先輩、自分の動かしたい方向へ物事をコントロールしたいなら(悪意が見えないよう)もう一芝居必要な気が…。
ちょいちょい狡猾さにツメの甘さが出ますよね(汗)
そして青さんの毒舌炸裂!^^
「こんなの」をフォローするソルちゃん 笑
おつかれでーす!
そしてかにさん、雪ちゃんは聖母でも仏でもないですよ!我慢を強いられ育てられた可哀想な女の子です。
そしてこんな彼を見限ることが出来ないのも、彼女が幼い頃から愛情をあまり受けれずに育ってきた背景にあります。愛情に執着してしまう性分なんでしょうね。。あ~哀れ‥
そうでしたね、離れるものをおもわず捕まえちゃう性分。
幼少からの自己否定、自己犠牲の性分もなかなか自分で変えられないもんですもんね。
もっとごちゃごちゃ考えずとも幸せにしてもらえる人きっといるのに…
いや、人の名前に「水」は可笑しいか・・・
でも下の名も苗字も清らかなイメージですね。
ピアノを弾いたら溢れ出す音の雫・・・こんな感じ?
私はこのエピソードの青田はいつもより
うまさ(?)が足りないと思いますよ。
亮は淳のことが大嫌いで、
折角の良い機会も淳の誘いなら放り投げる余計なプライドの持ち主で、
淳の本質を分かってるから優しいフリも効きません。
そして淳もそれを知っています。
なのにこんな偽親切の言い方+いつもの対応方。
誰ですか、この人。本当にあの青田先輩?
打ちにくいわ…
みなさま仰る通り悪意ダダ漏れ且つ本心丸見え
何時ものスマートなやり口からほど遠い
でも静香にもそうですが本音で感情むき出せる相手にほかならないですものね
高校の途中までは彼女よりも優先させていた相手だった訳ですし
ある意味人間らしさ全開のような
ほんとだからこそ決裂に至った経緯と出来れば復活も見たいですね
にしても留学なんてはなし持ち出してたんですね
今の今だと雪のまわりから駆除したい気持ち満々ですけど
色々解決して納得した上でならいい話ですよね
人生を再生する上で
雪とはうまく行かないにしてもいろいろ終えて旅立ってエンドならいいかもなー
>何時ものスマートなやり口からほど遠い
確信犯。これ、わざと亮を怒らせようとしているんじゃないでしょうか?
何故そう思うのかと問われると・・・。 説明できないのですけど・・・。(-_-;)
亮との関係をブチ壊してスッキリしたいとか・・・(←本家・雪vsミンスみたい・・)
亮は売られたケンカをきっと買うでしょうし。
雪ちゃんの前で、勝負の行方をコントロールしたいとか・・・。(←結局何も分かってません・・・)
>でも静香にもそうですが本音で感情むき出せる相手にほかならないですものね
そうですよね。
お互いのこと、本心では大事な幼馴染、理性では大嫌い、みたいな感じなのかなと・・・。
「奇妙な威圧感」から「彼らの意図(1)(2)」について、Yukkanen師匠の解釈をぜひお聞かせください・・・。
スマホから失礼します~。
>どんぐりさん
この回での私の解釈としたら、亮がピアノをやりたがってることを知った淳がこれ幸いと彼を自分と雪から最も遠ざけられる留学を提案した‥という物語通りのものなんです‥(⌒-⌒; )すいません意外性なくて‥。
なんか読者としたら、亮のピアノへの葛藤を沢山目にしてきましたが、淳がそれを知ったのってこの回が初めてですよね?
だからか、と勝手に納得してましたが‥違ってるのかな~汗
そうでした・・・ 先輩は亮がピアノを弾きたいのを知らなかったのでしたね・・・
そのことすっかり忘れていました (+_+)
そうすると・・・ ピアノ科の先生の名刺を雪ちゃんが亮に渡すことを、先輩が「大いに問題」だと捉えること、たしかに大いに問題に思えてきました。(先輩は先輩の想像以上に雪ちゃんと亮が親密だと感づいたのだと・・・)
あと、ピアノの前に立つ亮を見て、「お前、ピアノが弾きたいのか?」と言った後の、あのニヤリとした顔と「悪意ダダ漏れ且つ本心丸見え」の態度。なるほど、弱み(?)を握って悪巧む狡猾さは先輩の本性である・・・。
ふふふ・・・ 黒淳・・・
Yukkanen師匠!こちらのほうがずっと面白いですね!!!
お亮さんがピアノを弾きたがっているって淳はここで知るんでしたっけ
我々は各人のモノローグを見てるからついついうっかりしてしまいますが
いやーこんな風に色々なかたと意見をぶつけ合う事でき気づかない事に気付かされ更に理解が深まりますね( ^^)
にしても淳はお亮さんのことをとかく雪から遠ざけたいんですね
勿論キライという嫌悪感も大きいでしょうが
お亮さんに対する恐れも大きいのでしょうね
必死さが感じますもんね