ひっきりなしだった客足も、夜が更けるにつきだんだんとまばらになっていった。
激務の果てにようやく休憩をもらえた雪は、店の裏にて一息つく。
壁に凭れ掛かりながら、雪は自身の疲れを感じて息を吐いた。
疲れた‥今日は一日中‥
昼間耳にした清水香織の号泣が、今も鼓膜の奥にこびりついている。
それだけでも気が滅入るのに、図書館バイトに店の手伝いに‥。
振り返ってみると、今日は一日中何かに振り回されっぱなしだった‥。
「おい、ダメージ!」
すると不意に声を掛けられ、振り向くと亮が居た。
何度か咳払いをしながら、何かを窺うような仕草でこちらに近づいてくる。
亮のその様子はどこか不自然で、
雪は「何ですか?」と不思議に思いながら彼に問う。
亮は相変わらずの咳払いと共に、目を逸らしながら雪に尋ねた。
「いや‥何か変わったことはねぇか?」
突然の亮の質問に、雪は首を傾げながら「いきなり何ですか?」と再び聞く。
亮はやはり言葉を濁しながら、
「いや‥ホラ大学とかでよ‥」とチビチビ切り出した。
亮は昼間目にした、静香が困らせていた相手が本当に雪だったのか、未だ確証が持てずにいた。
まどろっこしい表現でそう口にする亮の言葉に、雪はそのままの意味で返答する。
「そりゃあ大学に通ってる以上色々ありますって。それに復学してからは変なことばっかり‥」
雪の言葉に、亮はいよいよ静香とのことが出てくるかと思って少し身を固くした。
しかし続けて雪が口にしたのは、予想外な言葉だった。
「今日も同じ科の同期とつまんないことで喧嘩になって‥」
「同期?喧嘩?」と亮が意外そうに口にする。そして”喧嘩”に反応しては、面白そうに反応する。
「いや~ダメージ~!お前が喧嘩するなんてな~!あ、でも前もパンチしてんの見たっけな!
これからは喧嘩ん時はまず鼻っ柱を一発‥」 「もう!変なこと言わないで下さいよ!」
思わず拳を固める血の気の多い亮を、雪がたしなめる。
とにかく、と言って雪は話を続けた。
「その子が突然私の真似をし始めたので‥いやそれはさておき‥
私の持っていた物をその子が持って行ったのが一番大きな問題で‥」
天を仰いでは俯き、口を開けては歯噛みして‥。
雪はくさくさする自分の心と向き合いながら、清水香織とのことを口にした。
「それを問い詰めると突然泣き出して‥私が事を急いじゃったってのもあるんですが‥」
「はぁ?何で?わけわかんね」「ですよね?!」
事情を深く追及してこない亮だが、かいつまんだ雪の説明に素直な感想を口にした。
それに同意した雪は息を吐き、ネオンの光で遠くかすんだ空を見上げる。
盲目的な怒りが引っ込んだら、冷えた頭は冷静に今の状況を分析出来るようになってきた。
雪は俯き静かな口調で、自分の気持ちを口にする。
「‥だけど冷静になって考えてみると、ただ単純に腹を立てるのも‥何だか複雑な気持ちで‥」
丁寧に自分の気持ちをなぞる雪だが、亮はそんな彼女の言葉に首を傾げた。
「あ?どゆこと?何で複雑なんだ?」
単純か複雑か、静か動か、勝ちか負けか。
そんなパッキリした価値観を持つ亮は、雪に向かって拳を固めて笑みを浮かべた。
「んで、負けたのか?負けたからだろ?おいソイツ連れて来い。オレがぶっ飛ばしてやんよ!」
呆れるくらい単純な亮の考え方に、雪は少し引き気味だ。
「はぁ?!何で喧嘩したか分かってます?!」
そんな雪の問いにも「喧嘩に理由なんて無い」と言って、亮は両手を腰に当てふん反り返る。
「一発食らったら二発返す!強い方が勝つんだからよ!」
亮は拳を握ったまま、昔の武勇伝を語り出した。
「オレが高校生ん時も変な奴が絡んで来てよぉ。理由?知るかってんだ!
ムカついたから喧嘩したんだっつーの。とりあえずお前はそのムカつく奴連れて来いっ!」
ニヤリと笑いながらそう語る亮に、「変なこと言わないで下さいよ」と言って雪は息を吐く。
しかし亮は全く変なこととは思っていないようだ。
「塾でだってお前のこと助けてやったの覚えてんだろ?正直マジイケてただろーがよ!」
雪は微笑みながら、ブツブツ言い返してくる亮の話を聞いていた。
口にすることは乱暴な亮だが、その心根は温かいことをもう雪は知っていた。
出会ってからこれまで、数え切れないほど彼に助けてもらった‥。
そして亮にとっても雪は、どこか放っておけない存在だ。真面目で誠実、けれど不器用でいつも損を見る彼女に、
気がついたら手を差し伸べている‥。
亮は雪に目を落としながら、呆れたような口調で話を続けた。
「お前があんまりにもマヌケだから、大学でもそうやってヤられんだよ!ったく!」
雪は少し自嘲するような、諦めたような微笑みを浮かべた。
そしてやはり丁寧に、客観視した事実を口にする。
「それで‥その子が何で私の真似をしたかを考えてみると‥」
雪の脳裏に、両親と蓮が共に居る場面が思い浮かんだ。
「まるで私みたいに‥愛嬌も積極性も無い私が、蓮みたいになりたいって思ってるように‥」
「あの子もそうなんじゃないかって‥」
自分には持ち得ないものを持っている人への羨望。灼けつくような劣等感。望む者になれない自分へのもどかしさ。
雪の脳裏に、去年までの清水香織の姿が浮かぶ。自信の無さそうな、俯いたその表情が。
「理由は分からないけど、私のことがうらやましくて、それで真似し出して‥、
でも完全に同じになるなんて有り得なくて‥だから結局焦り出して‥」
いつも下を向いて、リュックの持ち手を握り締めていた。その存在を忘れるくらい、地味で目立たなかった。
そこから今の彼女になるまで、どのくらいの葛藤や劣等感と向き合って来たのだろう‥。
雪はそれを考えると、彼女にどこか同情せずにはいられないのだった。
「まぁ‥別の見方をすれば‥向上心があるだけ私よりマシですね‥ハハ‥」
そう力なく笑う雪を前にして、亮は心に小さな刺が刺さるような感覚になった。
雪の言っているようなことを、どこかで見知ったような既視感‥。
亮はそのままじっと雪のことを見つめていたが、それがどういった類のものでいつ味わったものなのか、
正確な答えは導き出せなかった。思い出そうとすればするほど、既視感の尻尾はスルスルと逃げていく。
二人は、その場で暫く黙り込んだ。
そしていつしか亮の拳は緩み、その手は力なくブランと垂れ下がっていた。
喧嘩の必勝法なら伝授出来るが、こういった問題にはお手上げだ。
「そういうことなら‥」
「オレも分かんねーよ。何が勝ちなのか」
亮はそう言うと、雪に背を向けて去って行った。
道端に転がった空き缶を蹴って、俯きながら店へ戻って行く。
雪はそんな亮の背中を見ながら、彼の言葉の意味を考えていた。
きっと亮が言うように、香織のことに関しては勝ちや負けなどという結論では、おそらく解決しないのだ‥。
そして雪も暫くして、亮の後を追って店へ戻って行った。
営業時間もあと少し、雪はエプロンの紐を締め直して残りの仕事に励む‥。
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<単純と複雑>でした。
雪ちゃんが亮に心を開いているのが、すごく現れた回でしたね~^^
先輩との電話では忙しい彼を気にして語れない雪も、亮に対しては自分の気持ちを素直に口に出来るんだなぁ。。
こういう関係っていいですね~^^
次回は<温かな風景>です。
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