伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

親の愛情って・・・

2008-09-27 23:44:37 | 言いたんく

 わがゆきたんく家には、人間と言うと60を超えた老猫が2匹いる。
 メスのニャンとオスのジローだ。もう一匹若いミーというオスネコがいる。今日はこのニャンとジローについて書きたいと思う。

 最近の事件で、親が子の命を奪ってしまう事件があった。
子供に障害があるために行く末を悲観し、心中するつもりだったようだ。
しかし、自分は死に切れなかったということだ。

 「死ぬつもりならば何でもできる。」という言葉を聞くことがあるが、ゆきたんくにはその意味は良く分らない。死のうと思ったことがないからだ。自分なりの人生を計るものさしのひとつとして、「いつかは死ぬのだから、精一杯生きよう。」と思っているのだ。どんなに頑張ってもあと200年は生きることはできない。だからまだもつはずの自分の命を自分で絶とうとは思わないし、他人にも頑張ってほしいと思うのだ。

 さて、自殺をする動物はこの地球上の生物の中では人間しかいないという。
 自分で自分を殺すのだから、何かが間違っていると思う。
 武士の時代のように、自刃・切腹で死に至ることが1つ美学として教育されていた時代とは違う。

 そう、ネコの話だった。
 今から10年前のこと、我が家のニャンとジローは結婚をした。
4匹の子供をもうけたのだが、その直後に女房ののりたんが撮った写真がこれだ。
実は、この写真には次男のつっくんも写ってはいたが、ニャンと子供にスポットを当てたかったのでトリミングした。


母親としての責任を態度で表すニャン

 生まれて間もない子供達にかまうなとばかり「シャー」である。
 ゆきたんくが苦手の口が耳まで裂けるやつだ。
 実は自宅二階にあるゆきたんくの部屋のたんすの影で産み落とした。
 そしてつっくんがかわいいので1階まで運んだら、ニャンの怒ったこと。
 般若のような顔で、一匹ずつ首をくわえて、元の位置に戻したのだ。
 子供に危害が加わらないように守る親の姿勢はネコであろうともしっかりと持ち合わせているのだ。

 女房ののりたんは、ニャンと子猫のために柔らかいケースを買ってきた。
幸い、ニャンが気に入り子猫をそこに運んで子育ての場とした。


ニャンが結婚前に使っていた寝床


 今度は父親のジロー(キジトラ)の登場だ。
 子育てはニャン任せではない。こうやって子猫と過ごす時間を大切にしていたジローである。ニャンのダークシルバーとジローのキジトラ模様の混ざった愛の結晶達なのがお分かりになると思う。


相変わらず柔らかケース好きのニャン
薄目で子供の様子を見ている。

 子供達の目が開くと、もう行動範囲の広がること。写真は育児の合間に休憩をとるニャンだが、そばにいる子供には、しっかりと目を行き届かせている。これだけ大きくなってもおっぱいを飲みにくる。起きている時も寝ているときも子供には関係ない。飲みにくれば、ニャンは邪魔をせず吸わせていた。

 とにかく自分で餌を食べれるようになるまでは、「親が子を守る」ことを第一に自分の人生を生きているように感じる。

 人間でいえば、子供が二十歳になるまでだ。
 そうそう、言い切ってはいけない。二十歳というのは、1つの目安・ものさしで法律上のことではないか。
 二十歳になる前に、自分で食べていくことのできる基礎的なものの考え方を身に着けなければならないだろう。
 それを実行に移すための能力は、年とともにだんだん上手になっていくはずだ。人間の親の義務が何なのか、またいつやらねばならないのかは家庭教育の伝承で身につけるしかないと思う。

 乱暴な言い方だが、それを身につける前に親になってしまうと、子供は自分の夾雑物に感じるという。
「目に入れても、痛くない」という言葉があるが、こどもが視線に入るだけで鬱陶しいという話も聞いたことがある。本当に子供にとって災難な時代でもあるようだ。

 動物のネコ(他の動物でもそうだろうが)でさえ、鉄は熱いうちに打っているようだ。
人間はその時間が他の動物に比べてえらく長い。その間にどれだけの愛情を子供に注げることができるのか。

 小さい命ではあるが、この10年間ネコから学んだことはとても多かったと思う。「与えられた命を精一杯生きること。」これが一番大きかったかな。


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