ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

それ以上は選択制で

2024-12-01 08:47:48 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「だから…」11月25日
 『AI時代こそ語学に意義 文化しり より良い意思疎通を』という見出しの記事が掲載されました。『人工頭脳の翻訳技術が進歩すれば、英語を学ぶ必要はない-。そんな「英語学習不要論」を耳にするようになって久しい(略)語学学習は廃れていくのだろうか』という問題意識の下、この疑問に上智大言語教育研究センター長藤田保氏が答える記事です。
 私はこのブログで、英語教育について、のような指摘をしてきました。以下に引用したのは平成27年に書いたものです。

 『東京五輪で技術力アピール』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『日本企業が2020年の東京五輪に向けて製品開発を本格化させている』とのことで、具体例として、『パナソニックは2月中旬、東京都江東区で取引先などに向けた展示会を開いた~(中略)~首からぶら下げて使う携帯型翻訳機など開発中の物を中心に~』と紹介されていました。
 私は以前から小学校に英語教育を導入することに関連して、どの程度の英語力を想定しているのかを明確にすべきと主張し、買い物をする、道を尋ねる・教えるレベルの会話であれば、近い将来に携帯型の翻訳機が開発され、特別な施策を採用しなくても不自由しなくなると「予想」してきました。
 今回の記事は、少なくとも5年後には実用化される可能性がすこぶる高いということを示すものです。5年後、つまり、この4月に小学1年生になった子供が小6に、中学生になった子供が高3になったときには、実用化されているということです。
 このように書くと、あくまでも取引先企業向けであって個人向けではないという反論があるかもしれませんが、開発企業がより広範な販売先を求めるのは必然ですし、それには個人用製品の開発しかありません。また、携帯電話やスマホの技術革新のスピードを見ていても、その開発は私などの予想を上回る速さで進むはずです。

 別に先見の明を誇るつもりはありません。誰でも思いつくことです。続いて平成29年には、次のように書いています。

 以前から再三指摘してきたことですが、今になってまだこうした議論が起こるということは、学校における英語教育強化の意図、想定している具体的な英語力が明確でないことが原因なのです。
 来日した外国人と日常会話をすることができる、外国旅行で買い物や公共交通機関の利用などを自力でできるというレベルを想定しているのか、外国企業に勤務し英語で資料や契約書を作成できるレベルまで求めるのか、博士論文を英語で書き学会で英語で質疑討論ができるレベルなのか、そこをはっきりとさせれば、「聞く・話す」と「読む・書く」をどの時点でどのように位置付けるかということは、議論しやすくなるはずです。
 「聞く・話す」はスラングでも、方言や訛りがあっても通用します。フレンチ英語やジャーマン英語もOKでしょう。しかし、公式書類作成となれば、正しい文法や綴りを理解せずには成り立ちません。        
 
  AIの発達と自動翻訳機の開発については、私の予測はほぼ的中しました。では、次の習得すべき語学技能レベルについてはどうでしょうか。今回、この記事の中でも私の問題意識に答える内容はありませんでした。
 藤田氏は、『機会による表現の置き換えでは分からないことが数多くある』とし、クメール語の例を取り上げ、自動翻訳機では葉っぱの色はグリーンとなるが、現地ではブルーにあたる単語を使うと話されています。
 また、『会議ではないちょっとした立ち話で新たな考え方が浮かんだり、人間関係が構築されたり』するという例を挙げ、『様々な技術開発が多国籍のチームで進められる現状を踏まえれば、逐一翻訳機を通さず会話できる力が必要になる』とも話されていました。
 最初の例は、言語というよりもその国の文化を知ることの重要性を指摘しています。直接言語教育について考える材料とはなりません。総合的な学習の時間が設けられたとき、活動例の一つとして国際理解が示され、具体的に地域の外国籍の人との交流等が例示されていたにもかかわらず、それが英語学習の時間に振り替えられていった経緯を考えると、藤田氏の指摘と反対方向で英語教育が進んできたようにさえ思えます。
 次の例は、日本語以外の言語を基本とする場でのビジネスや研究を想定し、語学学習の必要性を指摘しています。つまり、外国旅行の際の買い物や日本に来た外国人に道を教えるといったレベルを目指すのではないという考え方を表していると受け取ることができます。しかし、残念ながら、文科省等の公的見解はそこまでの英語力を求めているようには思えません。あくまで藤田氏の個人的な思いのレベルの話です。
 繰り返しになりますが、将来の「普通の日本人」に必要な英語力を明示し、そこについては全員必修とし、それ以上の英語力を目指す人に対しては、選択制、コース制を設け、高度な、そして集中的な学びを準備するという形を整えるべきだと考えます。

 

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