ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

敗者は語れず

2012-06-19 08:20:29 | Weblog
「勝者の弁」6月15日
 武蔵野美術大学客員教授の荒俣宏氏が、インタビューに答えていました。その中で荒俣氏は、ご自身の生き方を『0点主義』という言葉で表現なさっていました。荒俣氏は、『<好き><無駄><無用>を究めれば、いつか唯一無二の生き抜く力が手に入る。競争もありません。学校や社会の評価が0点でも気にしない』と0点主義について説明なさっています。
 羨ましい生き方です。おそらく荒俣氏の言葉に嘘はなく、その言葉通りに65年間の人生を歩まれたのだと思います。ただ、私はこうした「人生論」を目にしたとき、子供やその保護者、教員が、これを真に受けないでほしいと思ってしまうのです。
 これは、特別な才能を持った人が、幸運にも恵まれて成功し、その後人生を振り返ってみたときに言える言葉なのです。嘘ではありませんが、万人に通じる真理ではありません。
 似たような言葉に、故岡本太郎氏の「私は人生の岐路では、常に困難な方を選んできた」というものがあります。いかにも岡本氏らしい言葉です。しかし、実際には、困難な道を選び、その重圧に潰されてしまった人、人生を狂わせてしまった人の方が多かったはずなのです。岡本氏や荒俣氏の言葉は、客観的に見て「成功」した人のみが口にできる言葉であり、その影には「やっぱり0点ではダメ、せめて60点はほしかった」と後悔している凡人がひしめいているものだと思うのです。
 お二人に限りません。立派な足跡を残してきた「偉人」は、規制のシステムやルールを超越して、光を放つものです。そこでは、学校教育など必要ありません。しかし、だからといって学校教育が無用の長物なのではありません。学校教育は999/1000を占める凡人のためにあるシステムなのです。ほとんどの凡人にとっては、教室の中で決められた時間椅子に座り、話を聞き、文を読み、文字を書き、質問し、話し合うという退屈な時間の積み重ねを経験することが重要なのです。「偉人」の話を我が子にあてはめ、自由放任で育てることは、子供に取り返しのつかない時間の浪費をさせることなのです。
 教員や保護者は、枠の外に出ようとする子供を必死に枠の中に押し込めようとするのが、その役割です。0点ではなく、せめて80点と思って尻を叩くことが使命なのです。逆説的ですが、そうしていれば、子供は自然に殻を破る力を身につけていくのです。 

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1 コメント

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お尋ねいたします。 (荒俣ファン)
2012-07-03 15:40:18
荒俣先生の“インタビュー”というのは、何かの雑誌に掲載されているものでしょうか?。
荒俣ファンなので大変気になります。
恐れ入りますが、ご教示くださいませんでしょうか?

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