ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

敵は幾万ありとても

2014-06-21 07:35:55 | Weblog

「そうではありません」6月16日
 『いじめ解決へ教師の研修を』という表題の教育評論家尾木直樹氏へのインタビュー記事が掲載されました。『教師の「階級」制度』、教委の『「組織防衛」的な意識』など首肯できない指摘がありましたが、教委勤務経験のない尾木氏の教委論については以前にも触れていますのでここでは触れません。ただ、メインテーマである研修のあり方についてはどうしても触れずにはいられません。
 尾木氏は、『現代のいじめの特徴や思春期の特性についてしっかり身に着けてもらう』と望ましい研修について述べていらっしゃいます。もちろん大切なことです。しかし、実際にいじめに直面したとき必要になるのは、「現代のいじめの特徴」を知ることでも、「思春期の特性」を理解しておくことでもありません。予期される状況とそれへの向き合い方こそ、重要なのです。
 いじめは多数の子供が個人、もしくは少数の子供に対して行うものです。そして、より多くの傍観者という消極的加害者が存在するのが常です。30人の学級で言えば、1人の被害者と5人の積極的加害者・20人の消極的加害者が対峙するという図式が一般的なのです。それは、保護者にも適用されます。保護者会でも多数派は「加害者の保護者」なのです。そして、多数派の働きかけにより、PTAでも地域でも、加害者側の味方が多いのです。つまり、教員は、こうした多数派と対決することになるわけです。
 多数派は、被疑者の落ち度や欠点を指摘し、自己を正当化しようとします。「だらしない」「集団の決まりを守らない」「約束を守らない」「平気で嘘をつく」「人を傷つけるようなことを口にする」などの「事実」が並べられます。人間である以上、過去数か月を振り返れば、誰でも間違いはあるものです。これらはすべて事実であるケースがほとんどです。これで、弱い教員は「被害者にも責任があるのでは」とブレだしてしまうのです。
 また、「以前はいじめの中心人物だった」などというケースさえ珍しくありません。そしてこの指摘には、「そのときあんた(教員)は気付きもしなかったし何もしてくれなかった」という無言の非難が含まれており、教員をチクチクと刺すのです。弱い教員は、「バランスをとるためには今回の件は穏便に」というような思いを抱いてしまいがちなのです。 さらに、加害者側は、こうした攻撃をした上で、「私たちは○さんがそんなにつらい思いをしているとは思っていなかった。直接話し合って気持ちを確かめたい。その上で、本当に悪いことをしていたのなら謝罪したい」と言い出します。既に加害者側の度重なる揺さぶりに参っている弱い教員は、この申し出を受け、両者の話し合いを設置し、そこでは1対多数の話し合いというつるし上げが行われ、それ以上傷つくことに耐えかねた被害者は表面的で偽善的な仲直りを受け入れざるを得なくなり、弱い教員は、これで重圧から解放されると考え、この「解決」を歓迎し、いじめはめでたく解決したことになってしまうのです。そして、出口をふさがれた被害者は、以前よりも深刻な絶望状態に陥るのです。
 ここまで書けば明らかなように、いじめ問題に対応する教員にとって一番大切なのは、誰に対してでも、どんな事情があろうとも、いじめは絶対に許されないという立場を貫く強さなのです。
 私は学級担任の時に直面したいじめ問題を、まず子供たち全員への謝罪から始めました。いじめに気付かず、問題を深刻化させ、被害者も加害者も含め多くの子供を傷つけたことを謝罪し、学級の子供たちのことはみんな好きで大切に思っていることを伝え、その上で「いじめという行為」は決して許さないと述べたのです。教員として自分を守ることはしないし、いじめた子供を責めたり見捨てたり嫌いになったりもしない、ただ、いじめるという卑劣な行為は絶対に認めないという立場を明確にしたのです。こうした強さが大切だということを、事例を通して学ぶような研修こそ、望ましいのです。

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