ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

周知の中で

2019-09-20 07:55:21 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「ひとりと大勢」9月14日
 今週の『論点』『どうするハラスメント対策』、もう一人の専門家は、アチーブメントHRソリューションズ取締役松坂孝紀氏でした。松坂氏は、主に上司の部下への接し方という視点で語られていました。松坂氏が提唱するのは『部下支援型』という在り方です。
 その具体的な姿として、『部下が続けて遅刻した時、強く責めたり無視したりするのはボス型。「遅刻したいと思ってしたわけではない」と考え、状況や体調を聞き、同じことが起こらないように支援すれば、部下も改善し、結果は変わる』と述べていらっしゃいました。
 よく分かります。非常に有効なハラスメント対策だと思います。私も、統括指導主事、指導室長として部下と接するとき、同じような姿勢を心掛けてきました。もっとも、部下の指導主事は遅刻のような単純なミスをすることは皆無でしたが。
 ハラスメントを、上位の者が下位の者に対して不当に権力を行使するという捉え方で見れば、学校における教員と子供の間にも、ハラスメント対策の考え方が有効なはずです。しかし、学校、特に小学校の場合、松坂氏が提唱する方法は難しいのです。
 それは、一人に対する支援型の対応が、他の子供に与える影響をコントロールする難しさです。何らかの「良くない行為」があったとします。その場合、2つのケースが考えられます。その行為を教員だけが知っているケースと、多くの子供が知っているケースです。前者は、問題ありません。どうしてこんなことをしたのか丁寧に聞き取り、どうすれば再びそういうことをしないで済むか、教員としてどんな手助けするか、本人は何を改めるか、保護者には何を依頼するか、学校のシステムやきまりに不都合はないか、など話し合いながら「支援」していけばよいのです。おそらく、多くの教員が「支援型」とか「リードマネージメント」とかいった用語は知らないまま、こうした対応をしているはずです。
 しかし、学級の子供全員が周知、となるとそう簡単にはいきません。叱ったり、注意したりすることなしに、「きちんと話を聞かせてね」という対応は、甘やかしている、依怙贔屓という誤解を与えかねないのです。
 授業中におしゃべりをしている子供がいます。教員は、「静かにしなさい」と即座に注意をします。その子供を相談室に呼び、「どうしておしゃべりしたの」と聞き取っていたのでは、授業は成立しないのです。授業中のおしゃべりは、ほとんどの人が子供時代に経験していることでしょう。私もそうでした。よくあることで、多くは深刻な問題ではありません。一方で、ある子供が毎日遅刻してくる、忘れ物もするという状況は、本人がだらしないということよりも何か背後の問題となる状況があるということが推察されます。虐待か、保護者の養育能力不足か、別の要因による大きなストレスが存在するか、何等かに障害が疑われるか、など。
 大人であれば、そうした違いは理解できます。しかし、小学生、それも低中学年の子供の場合、悪いことと良いことという二元論的な現状把握の仕方をすることが多く、「僕がおしゃべりしたときは怒ったのに、Aさんが忘れ物しても怒らないのはおかしい」というような認識になってしまうことがあるのです。
 褒めることより叱ることの方が難しい、昔からよく言われることです。それにはこんな背景もあるのです。
 
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