「教化」6月8日
気仙沼ニッティング社長御手洗瑞子氏が、『いいものに触れる』という表題でコラムを書かれていました。その中で御手洗氏は、『音楽家になりたい場合、いきなり作曲を始めるのではなく、まずは一流の音楽家のコンサートを聞きに行く。すると「いい音楽とはこういうもの」ということが理解でき、そこから自分なりのアプローチでいい音楽をつくっていくことができる』という著名音楽家が語った話を紹介なさっています。
さらに、『おいしいものを作ろうと思ったら、まずはおいしいものを食べることが勉強』『旅館やホテルを経営する人にとっては、いいホテルに泊まることで学ぶことは多いはず』などの例を挙げ、『いいものをつくるには、いいものに触れることが大切』ということは普遍的なことであろうと結論付けていらっしゃいました。分かるような気がします。
ということは、よい授業をするにはよい授業を受けること、見ることが大切であり、よい教員になるにはよい教員に接することが必要ということになるはずです。自分の専門分野なので、これは間違いないと断言できます。このブログで何回も書きましたが、私は大学4年生の教育実習で指導を受けた目賀田八郎先生に大きな影響を受けて、教員人生を歩んできました。当時47歳、既に学習指導要領の指導書を書くほど社会科指導の大家であった先生と巡り会えたことは本当に幸運でした。
正直に言うと、実習の最初の週、先生の授業を見ても何も感じませんでした。当時の私は授業というものを知らず、不遜にも20年以上も教員をやっているんだから授業が上手くいって当たり前、と考えていました。ところが、自分が授業をしてみると、どうにもならないのです。事前にイメージしていたレベルを100点とすると、1点か2点という感じなのです。子供が理解できずイライラしている雰囲気は伝わってきますし、自分が段々と逆上してくるのも分かります。予定の1/3も進まずに授業を終えた後、屈辱で全身が熱をもつのが分かりました。
それでも私は、自分の未熟さを見つめるよりも、何かに責任転嫁したい、自分のプライドを守りたいというような感覚でいました。先生はそんな私の性格を理解していたのでしょう。教育実習が終わった後もご自身が主宰する勉強会に参加するように取りはからってくださいました。以来先生が退職されるまで、私は勉強会で先生の教員としての佇まいを見、考えに触れ続けました。まさに「いいもの」に振れ続ける幸運を得て、目指すべき教員像を具体的にイメージすることができるようになったのでした。
では私自身が後輩から見て「いいもの」になれたかというとそうはなれませんでした。そのことを考えるたびに、悔しいというよりも悲しいという気持ちになります。教員の能力の向上について、様々な施策が検討され実施されていますが、本当に効果があるのは、目賀田先生のような教員、存在するだけで後輩を教化するような教員を増やすことなのです。40代の教員の10人に1人、そんな「いいもの」がいれば、学校教育は安泰なのですが。現実には?。100人に1人もいないでしょうね。









