ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

がまんしろ、だけでは

2014-10-02 07:58:26 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「どうしたい?」9月25日
 『子供の遊ぶ声は「騒音」!?』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『遊んでいる子供の声を巡り、都内の区市町村の7割が、住民から「うるさい」などの苦情を受けたことがある』のだそうです。この調査は、騒音防止を定めた都環境確保条例を子供の声にも適応するか、緩和するかを議論する際の基礎資料となるようです。
 また、有識者への聞き取りでは、『声を抑制するのは子供のストレスになり、発育上好ましくない』という指摘があり、子供の声を条例の対象として規制するという声はなかったとも書かれています。
 私も、教員時代や教委勤務時代に、子供の声がうるさいという苦情を受け、対応したことがあります。防音壁を建てる等の対策を行いましたが、苦情者が満足したり、納得したりすることはありませんでした。現代は、社会が多様化し、夜間勤務で昼間が睡眠の時間という住民も珍しくありません。高齢化が進み、自宅で介護に取り組む家庭も増え、家族が休めるのは高齢者がデイサービスに行っている昼間だけ、というケースも増加しています。子供の声をめぐる苦情は今後増えこそすれ、減ることはないでしょう。
 それなのに、子供の声は他の騒音とは違うという論理で、事実上苦情を無視するような方向での対応が望ましいのか、よく考える必要があると思います。長年、学校教育に携わってきたにもかかわらず、子供の味方をしないのかという批判をいただきそうですが、そうした批判には、急激な少子化で子供の数が減り、多くの家屋の遮音性が高まっているにもかかわらず、近年苦情が増えたわけを考えてほしいと言いたいと思います。
 いろいろな原因が考えられますが、その中一つが、「おらが地域の子供」という意識がもてなくなったことだと考えます。都内の多くの地域で導入されている学校選択制の結果、身近な学校で「騒音源」となっている子供は、どこの馬の骨か分からないという状況になっています。現に、我が家の隣家の子供とその隣の子供は別々の小学校に通っています。
 「あの小さかったAちゃんがもう小学生か。ご両親が嬉しそうにビデオをもって学校に行ったけど、そうか今日は運動会か」という感覚であったものが、見たこともない知らない子供が通う学校の運動会では、「誰があんなでかい声を出しているんだ」になってしまうのです。地域の学校、地域社会の核としての学校という位置づけが崩壊しているのです。こうした学校と地域社会を遠ざけるような取り組みを進めながら、学校の騒音への理解を求めるというのは、矛盾以外の何物でもありません。この点に手を付けずに、苦情者に我慢しろというだけでは、ことが収まるはずはないのです。

 

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