ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

排除された作文

2018-06-15 08:15:53 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「排除は正当?」6月5日
 統合デジタル取材センター小国綾子氏が、『迷うことは心の勲章』という表題でコラムを書かれていました。その中で小国氏は、大学生のときの教育実習時の思い出を書かれています。『進路指導担当の教員から実習生たちに課題が出た。高校時代、どんな夢を抱き大学や学部を選んだか、生徒への原稿を書いてほしいという。でも実習生の原稿を事前チェックした先生は、私のだけをボツにした。「君のは、高校生を迷わせる」』と。
 ちなみに小国氏の原稿の内容は、『入学後、学ぶ目標を見失い、1年休学し、アジアを放浪したこと。専攻を変更し、何とか大学に復学した』というものだったそうです。小国氏は、『今ならわかる。進路指導の教員は実習生に、目標を持った受験勉強の体験談なんかを書いてほしかったのだ。でもあの時の私はこう受けとめた。「学校って迷っちゃいけない場所なんだ。ならば私はここで働けない」』と述べ、学校の、教員の硬直性に疑問を呈しています。
 複雑な思いです。それは、学校・教員には小国氏が指摘するような硬直性という欠点があるのも事実であるのと同時に、それが学校・教員に求められることでもあるからです。学校の教育活動の中核をなすのは授業です。授業は明確な目標があり、その達成のために意図的・計画的に行われる営みです。意図もなく、計画もなく成り行き任せというのでは、仮に上手くいっても、それはよい授業ではありません。
 ですから、進路指導の授業をする際、「目標をもって勉強することの大切さを理解させる」という目標を立てたら、その目標達成に役立つ資料を集め、その効果的な提示を工夫し、必要な学習活動を設定して授業を構想するのです。小国氏の例でいえば、年齢の近い大学生の経験談は臨場感、現実感があり、生徒への訴求力があるという判断で、原稿作成を指示したのでしょう。そして、その意図に合わなかった小国氏の原稿は排除されたということで、これはある意味教員としては当然ことで、非難されることではないのです。
 ただ、この進路指導教員はいくつかのミスを犯しています。最大のミスは、目標設定もしくは目標解釈です。目標をもって勉強するという目標自体が適切であったか否か、検討が必要です。こうした目標設定がえてして無理矢理目標を押し付けるという結果に陥る危険性への配慮が足りなかった可能性があります。
 また、目標が適切だったとしても、その解釈に問題があったとも考えられます。例えば、目標を「医師になる→医学部に入る」というようなレベルで捉えるのか、「自分らしく生きる→やりたいことを探すor今の自分に何ができるか考える」というレベルで考えるのかによっても、小国氏の原稿の扱いは変わってきたでしょう。
 さらに、目標について以外に、学習過程に対する理解不足の可能性も高そうです。例えば、道徳の授業で、勤勉・努力を目標にした場合です。ストレ-トに努力の尊さを強調するのも一つのやり方ではありますが、より深めるためには、努力の必要性を理解しながらも自分の弱さに負け怠惰に流されがちな自分という存在を見つめさせることで、努力・勤勉の価値を感得するという方法が考えられます。人間の心理や認知の仕組みを考えると、むしろこちらの方が有効だと考える教員が多いはずです。ですから、小国氏の原稿をボツにした教員が未熟だった可能性が高いのです。
 私なら授業の目標はそのままに、小国氏の原稿を取り上げ、一人一人の生徒の中にある迷いを見つめさせ、自己内対話を深めさせる展開を採用したでしょう。未熟な教員によって、小国氏のような人材を学校現場に迎えることができなかったことが残念です。

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