ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

どうしても偏る

2019-09-14 07:59:22 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題
「私は一人派」9月10日
 精神科医香山リカ氏が、『「相席レストラン」は?』という表題でコラムを書かれていました。その中で香山氏は、「ひとりで外食」が珍しくなくなったことに触れた上で、『相席レストラン』の思いつきについて語っていらっしゃいます。
 『もし私がレストランを開くなら、大きなテーブルを用意してひとりで来店した人を案内し、「ここに座った人たちは自由におしゃべりしてください」と言いたい(略)「そのときだけ友だちの相席レストランってどうかな」と友人の集まりで話したら、ひとりが言った。「ひとりで外食するのは人間関係から離れたいとき。そこでもおしゃべりしなければならないなんて、勘弁してほしいな」』。
 この友人との会話から、香山氏は、『なるほど。みんなで食べたい。ひとりで食べたい。人間にはいろいろな気持ちがあるのだ』と述べ、それでもいつか「相席レストラン」をやったみたいと綴られていました。私はこのブログで、一つの価値観で子供を見、その言動を判断し、指導することについての疑問を述べてきました。休み時間に一人で図書室で本を読んでいる子供→友達がいなくて寂しがっているという思い込み。でも、純粋に本が好きで、休み時間に本を読むことを楽しみに登校しているのかもしれません。いつも進んで鳥小屋やウサギ小屋の掃除をし世話をしている子供→生き物をかわいがる優しい子供という思い込み。。そうではなく、人と接するのが怖く寂しい思いをしている子供なのかもしれないということです。
 香山氏はそんなことは重々承知の精神科医、人の心の専門家です。それでも、自分の感覚と違う意見に「気付かされ」ているのです。私が言いたいのはここからです。そんな香山氏は、それでもなお、「相席レストラン」をやってみたいと言うのです。つまり、いろいろな考え方や感じ方をする人がいるという事実を理解した上でなお、やはり自分の感じ方の影響を強く受けるということです。
 私は香山氏とは逆の感覚です。「相席レストラン」なんてとんでもない派です。私もいろんな人がいるということを理解しているつもりですし、そうした多様性を尊重すべきという立場です。それでもなお、やはり見ず知らずの垢の他人と食事して会話などという「苦行」には耐えられません。
 生まれながらの人見知りは、社会人として生きる中でかなり緩和されてきました。先日も、叔父の葬儀で初対面の方と笑顔を絶やさず2時間余り隣り合わせで会食をし、気分良くお帰りいただきました。でも、三つ子の魂百まで、ではありませんが、根は人見知りの一人好きです。
 教員が子供を見るとき、頭ではいろいろな感じ方をする子供がいる、勝手な思い込みや決めつけはいけないと分かっていても、その教員のもって生まれた感じ方や価値観が微妙に影響してしまうのです。
 子供は風の子、スポーツをする人に悪い人はいない、こんなフレーズに共感を感じるか、くだらない俗説と感じるか、1000人の教員を対象にアンケートを取れば、結果は大きく分かれるでしょう。そして共感を感じる人は、活発な子供を好ましく思い、休み時間に校庭を走り回る姿を見て安心感を抱き、運動系の部活におけるきつい練習を肯定的に捉えるでしょうし、俗説と感じる者は、違う考えを抱く可能性が高いような気がします。
 どちらがいい悪いの問題ではありません。ただ、自分にどのような傾向があるか、自覚しておくことは、教員としてのバランスを保つ上で有効であるはずです。
 
コメント   この記事についてブログを書く
« 誰でもいい、でも「基本」は... | トップ | ごく自然に近くにいて »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事