ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教科書と研究書

2018-04-01 08:45:32 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「教科書というもの」3月27日
 現代史家林英一氏が、『歴史教科書』という表題でコラムを書かれていました。その中で林氏は、『教科書同士の読み比べが案外大事なのではないかと考えている。今と昔、自国と他国の教科書を比較し、その背後のある見方の変化を学ぶことが、生徒たちの歴史に対する深い理解や主体的な思考力を養うことに資する』と書かれています。
 また、『教科書はひとびとによって書き直されていくものである。ゆえに一部の専門家任せでなく、みんなで創り上げていかなくてはならない』とも書かれています。何となくおっしゃりたいことは分かります。そして、共感する部分も少なくありません。その一方で、教科書というものに対する理解が不足しているように思えてならないのも事実です。教科書、正式には教科用図書については、法的に様々なことが定められています。
 まず、教科書を『一部の専門家任せでなく~』という主張についてです。歴史書であれば、専門家以外に誰でも執筆し発表することができます。それが表現の自由というものです。実際、世の中には専門家から見れば、噴飯もののとんでもない「歴史書」が存在します。歴史書というよりも、自分の主義主張に合わせて都合のよい事実だけを抜き出し、勝手に解釈してつなぎ合わせたような迷著です。
 しかし、そんな書き手に教科書をつくられてはたまったものではありません。つまり、専門家でなければ、教科書もどきができるだけなのです。「みんなで~」は理想論に過ぎません。
 また、『今と昔、自国と他国の教科書を比較』することの効果については同意見ですが、誰が比較する教科書を選ぶのかという問題があります。例えば第二次世界大戦について、韓国、中国、ベトナム、インド、フィリピン、ラオス、台湾、どの国の教科書と比較するのかによって、生徒がもつ歴史認識に違いがでることは確実でしょう。一部に親日的な記述が見られる教科書もあれば、反日一色という教科書もあります。今と昔の比較でも、戦前なのか、戦後すぐなのかでは全く違ってきます。もちろん、どのような国や時代との比較であっても、考える力、複眼的に見る能力は身につきますが、やはり何らかの色が強くでてしまうことは避けられません。
 いろいろと批判はありますが、思想的な偏りを避けるために、我が国では教科書検定制度が設けられています。歴史を担当する教員一人一人が、自らの歴史観に基づいて「比較対象」を選べば、偏向教育批判合戦で、学校現場は大混乱することは必至です。
 最後に忘れてはならないのは、歴史教育は、ミニ歴史学者・研究者をつくるための学習ではありません。学校では、歴史の学習にだけ没頭するわけにはいかないのです。考える力を身につけさせるために林氏が提唱する教科書比較は、かなりまとまった時間を確保しなければ成り立ちません。しかし、実際には、様々な教科領域の中で、歴史の学習には限られた時間数しか与えられず、その範囲内で古代から現代までの概略を学ぶという制約があるのです。そのことも踏まえれば、話は単純ではありません。
 なお、実際には、ある時代について、他の国や他の時代の教科書の記述との比較という学習は既に行われています。他の教科書の記述はあくまでも補助資料としての文章資料という形で、つまり、学習指導要領の内容の範囲内で、です。林氏のアイデアを実現するためには、まず、教員が小さな比較からいくつかの実践をし、効果と問題点を洗い出すという作業を積み重ねていくことが必要だと思います。

 

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