ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

もう一度飛び級・留年

2020-12-01 08:29:08 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「学校の限界」11月25日
 法政大総長田中優子氏が、『学びの時間』という表題でコラムを書かれていました。その中で田中氏は、『近代の学校制度では授業時間とその回数を基礎とする「単位」という考え方(略)一方、江戸時代では、いつ入っていつ出て行っても構わない。自分が「学んだ」「力がついた」と思えればいいのである。近代の学校は教育する側の管理で成り立ち、前近代は学ぶ側の納得で成り立っていた』と述べていらっしゃいます。
 江戸時代の寺子屋についても、今の学校についても、誰しもが知っていながら、改めて田中氏のような視点で指摘されると、とても考えさせられます。「学びの時間」という視点からコロナ禍の大学教育を考える田中氏は、オンライン授業について、『自分の時間配分で学習できたことなどメリットがあるとした回答は70%以上に上った』というアンケート結果を踏まえ、『(学ぶ)時間が個人の取り戻される』時代の大学の在り方について『学生の身になって基本から考えなくてはならない』としています。
 では、小中学校ではどうでしょうか。小学校、特に低学年・中学年の子供には、学ぶ時間を自分で管理する能力はありません。その点で大学とは違います。しかし、授業時間とその回数によって、ある学年の学びを終えたと判定する仕組みは大学以上に浸透しています。基本的に留年はなく、毎回のテストで零点を取り続けていても、教科書を読めず、一桁の足し算ができなくても、進級していくのですから。つまり、学ぶ側の納得は一切考慮されないシステムということです。
 これが、教育本来の理想からほど遠いものであることは間違いありません。小中学校でも、「子供の身になって基本から考え」る必要があるのです。先ほど述べたように、小学校低学年の子供に学ぶ時間の管理はできませんが、出来た、分かったという「納得」を自覚することはできます。そのことは、1年生の教室から、「先生出来た!」「分かったよ!」という声が聞かれることで証明されています。つまり、何時間授業を受けたという尺度ではなく、何が分かって、何ができるようになったという尺度で、一つの学びを終え、次の学びに移行していくシステムは構築可能だということです。
 そのシステムは、留年・飛び級制度です。かつて大阪府知事の職にあった橋下徹氏が、留年制度を提唱し、教委等の猛反対もあり実現せずに終わったということがありました。そのときも私はこのブログで、橋下氏の主張を取り上げ、留年だけでなく飛び級も併せて実施することを研究すべきだと述べました。当時は、単に履修主義は教育の本義から外れているので修得主義への転換を果たすべきという考え方と、級友との人間関係等学び以外の理由を挙げて反対する意見に対し、学校は学びの場でありその他の資質形成は副次的なものであるという原点回帰を打ち出したいということからの提言でした。
 しかし、今回、田中氏の指摘した「学ぶ時間の自己管理」という意味からも、この留年・飛び級制度、つまり期間にとらわれずに分かるまで勉強し、分かったら次の勉強をするという学習者である子供本位の制度について研究すべきだと思いました。実現は難しいと思いますが、研究することによって新たな知見が見いだされ学校教育を変えていく可能性は小さくないと思います。

 

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