「手遅れ」2月22日
川柳欄に、町田市O氏の『体力が無くちゃ体力つくれない』という句が掲載されていました。その通りと、と苦笑してしまいましたが、よく考えるととてもシビアな句です。意味は言うまでもありません。体力づくりに毎日40分のウォーキングを、と言われても、そもそも40分も歩き続けることができるだけの体力がないから困っているのに、ということでしょう。
この句が意味することをよく考えてみると、苦笑いでは済みません。体力を学力と入れ替えてみましょう。学力が無くちゃ学力を伸ばせない、となります。つまり、ある時点で、既に学力が低レベルにある子供にとって、今以上に学力を伸ばすのは難しいということになります。
そしてこれは、単なる句づくりの言葉遊びではなく、真理なのです。例えば、ある子供が割り算も掛け算も理解できないまま高学年になり、分数の加減乗除を学習するケースを考えてみましょう。その子供は、分数の概念そのものを理解できないでしょう。まして、通分も約分もできません。ということは分数の加減も乗除もちんぷんかんぷんです。
この子供が、授業中ボーっとしているのを発見した教員が、分からないの?と声を掛け、子供が頷きます。教員は重ねて「どこが分からないの」と尋ねますが、子供はどこが分からないのかもわかりません。沈黙してしまいます。教員も一人の子供だけに集中して何時間もかけることはできませんから、「分からないところがあればいつでもいいから聞きに来なさい」とでも声を掛け、授業を進めてしまうでしょう。この子供は、休み時間になっても放課後になっても、教員のところを訊ね教えを乞うことはありません。何を訊けばよいのか分からないのですから。
この子供がそのまま中学生になったとき、もはや数学の授業を理解しようという気さえ失せてしまっている可能性が高いと思われます。残念ながら手遅れです。こう考えてみれば、「体力が無くちゃ体力つくれない」が、教員にとって深刻で恐ろしい含意のある句であることが分かると思います。
手遅れを作らないために、小学校教育の責任は重いということも理解できるでしょう。教育行政は、小中の教育、義務教育の重要さを再評価し、多くの教育資源、人と予算を義務教育に注ぎ込むべきだと考えます。もちろん、小学校教員もそれに応えるべく、厳しい覚悟で自己研鑽に勤めなければなりません。








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