「計画的に目標を掲げて」9月10日
精神科医香山リカ氏が、『心変わり恐れず楽しむ』という表題でコラムを書かれていました。その中で香山氏は、『「30代の頃の夢は会社員として頑張り持ち家を買うこと。でも、40代になって突然、外国で働きたくなり北欧で料理人の修業をしている」などという人もいるだろう。どちらかがウソ、幻だった、ということもない。どちらもその人にとってはまぎれもないホントなのだ。「心変わり」というのはあまり良いイメージの言葉ではないが、仕事や暮らし方、趣味などに関しては、どんどん心変わりしてもよいのではないか』と書かれています。
ご自身も3年前のインタビューでは、大学の教員として頑張っていきたいと考えていたにもかかわらず、現在は地域医療で奮闘なさっている香山氏の、ご自身の体験に基づく言葉です。私も全く同感です。
そう考えると、今学校で行われているキャリア教育とは何なのか、という疑問が浮かんできます。自分のやりたいことを決め、その実現を目標に掲げ、そのために達成することを、中3までに○○を、高1では△△に留学し、高2までに◇◇2級の資格を取り、大学は□□学部に進み~、というようにスモールステップで計画を立て、その実現のために努力する、そういう人生が望ましいという価値観に基づいて行われているのが、キャリア教育です。
そこでは、心変わりは目標達成を諦めた人間の弱さというマイナス評価を与えられ、変節した当事者として本人は罪悪感、自己否定感情に苛まれて生活することになります。人生の失敗者という烙印を自分自身に押してしまうのです。それは幸せな人生でしょうか。
また、「自分には学生時代に決めた目標があるんだ。親も友達もそれを知って応援してくれているんだ」とぶれずに努力し続けているものの、内心では「最近どうしても○○への興味を抑えられない」という気持ちを抱いている。それにもかかわらず、その気持ちから目をそらして「自分はそんな意志の弱い人間にはならない」と自分の本心を騙し続けて生きている、そんな人もいるかもしれません。それは立派な生き方なのでしょうか。
成人しても、社会人になってからでも、ある分野でそれなりの成果を残してからでも、人は「やりたいこと」に出合う可能性があるものです。計画通りに生きることだけに価値があるのではなく、自分の気持ちに正直に、そのときやりたいことの実現に向け力を尽くす、そういう生き方を否定してはなりません。そうした視点から、キャリア教育のもつ課題について考えることが必要だと思います。
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