ゆきんこブログ

月刊ガソリンスタンド誌
『変化と試練が、人と企業を強くする』
連載中!

M氏の思い出

2010年03月17日 05時33分15秒 | Weblog
あれは、20年ほど前の事でした。
朝、私が出社すると駐車場に一台のレンタカーが止まっていて、私を待っていました。
はるばる北海道の旭川からガソリンスタンドの経営者であるM氏が訪ねてきたのでした。

非常に商売熱心なMさんは私の石油流通ビジネスに興味を持ったようで、
施設を見たり、石油流通に関して熱心な質問をされていたわけですが、
その後、息子さんと一緒に再度訪問された事もありました。

事務所と併設されていた「焼き肉レストラン」で食事をしながら、
石油ビジネスに関する熱い思いを語り合ったものです。

当時は米国のジョバーのようなビジネスを目指していた自分ですが、
その後、全国の独立系業者の方が何社も視察に訪問されました。

地方の田舎での石油ビジネスでしたから、ガソリンスタンド自体は付属的なビジネスで、
本業は、大規模プロジェクトのパトロール給油や中間流通の業転ビジネスが中心で、
関東、甲信越一円を飛び回っていたわけです。

大型ローリーによる自主配送。
自社貯蔵施設の建設と運用管理、中継配送のための基地、
中間溜分を中心とする小口需要に応じるための4㌔ローリーによる配送体制。
そして、灯油配送システム「雪ん子」の原点となった「灯油配送センター」など
まるで運送会社のような体制でした。

当時、私の会社は日本国内のほとんどの元売や商社の直売部門と提携し大規模な公共事業への納入業務を担当していたのです。
ダム建設、高速道路、新幹線、長野オリンピック関連、空港建設、発電所建設プロジェクトなど多忙を極めた時期でした。
ゴルフ場の開発から建設などまで、まさに石油直売ビジネスの最盛期でもあったわけです。
とにかく、石油製品が売れまくった時代です。

そして、石油流通管理システムの構築、受注配送システムの開発。
今考えれば、不動産ビジネスや外食産業の収益まで膨大な開発予算を投入しての石油流通ビジネスのプロジェクトがスタートしていたわけです。

外国の石油事情を見て歩いたり、まだ、ウィンドウズも存在していない時代に、
元売のシステム担当から大学教授になったK氏を招いてデータベースシステムを構築したり、
その後私の頭は石油流通ソリューション開発に没頭していったわけです。
たった一人で山の中に籠って開発をすすめました。
今となっては、懐かしい思い出です。

その後、私の人生も色々ありました。ビジネスの厳しさを身に沁みて感じました。
その後は実際の石油流通取引から一切手を引き現在に至ります。
その事が自分自身の「けじめ」だと思っております。

私の夢はその時点で一度は潰えたと思ったわけですが、
全国各地に私のビジネスに興味を持っていた方がこれほど多かったのかと驚くと共に、
石油業界の皆様に救われました。

その後は、驚くほど多くの方からのオファーを頂きながら、
感謝と共に今日の私の石油ソリューションビジネスの原点が構築されました。

まさに、「お客様のよろこびが、我がよろこび」です。
月刊ガソリンスタンド誌、本年度の原稿テーマとなっています。

私自身の石油ビジネスに関する思い入れは今後も人生そのものとして続きます。

私にとって生きていくという事は、仕事をする事。

石油ビジネスで自主流通体制を確立するという事は、「品質管理」、「流通管理」をはじめとして全ての業務について、コンプライアンスと管理体制が問われます。

まさに、「油断」大敵です。