ゆきんこブログ

月刊ガソリンスタンド誌
『変化と試練が、人と企業を強くする』
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「八ツ場ダムと川原湯温泉」の夕陽

2009年09月28日 05時53分57秒 | Weblog
最近話題の群馬県の八ツ場ダムと川原湯温泉。
私にとっては懐かしい、想い出があります。

実は、川原湯駅のそばに現在も残る木造の小さな小屋ですが、
戦後、私の父が「文化薪」という燃料用の薪を生産して、貨車積みして出荷していた基地なのです。
戦後の日本では、炭や文化薪は生活用の主燃料でした。

丸い針金の輪の中に小さく切った雑木を詰め込んだものを「文化薪」と言います。
普通の薪よりも寸法が短いわけです。
当時は、社員に炭焼きのおじさんもいて、山にこもって「炭焼き」をしていました。

まさに、当時の「薪炭業」はその後の日本のエネルギービジネスの創世記でありました。
薪を作る場所では、アメリカ製の大きな電蓄(電気蓄音器)があって大きな音で当時の流行歌のレコードをかけていたのを覚えています。
川原湯温泉の旅館のダンスホールにあったものを父が買ってきて、社員が楽しんでいたわけです。

私は、生まれながら祖母の養子になっていたので、たまに、祖母に連れられて川原湯温泉へ行きました。
駅から温泉への坂道を会社の若い衆に背負われて登って行きました。

当時、川原湯には芸者がいたようで、父はよく芸者遊びをしていたようです。
祖母と母は温泉に行きながら、「この家に、白粉をつけたタコがいるのよ・・・」と言いながら話していました。
私は驚いて必死でその家の中をのぞいたものです。
「白粉をつけたタコ」どんな動物なのだろう????

何のことはない、芸者の「置き屋」の屋号が「タコ八」でした。

それが、なんでわかったかというと、
後日川原湯に行って、ドライブインでおばさんに
「この辺に昔、白粉をつけたタコが・・・」と聞いたわけです。
「なに。。、あんた・・・あの土屋さんの息子さん?、まあ大きくなって・・」
とおばさんが涙ぐむ。

おばさんのいうことには、文化薪を切っていて「指を落としてしまった」ということ、よく見たら左手の人差し指がありません。
あの人が昔のポン太姐さんで、お宅のお父さんによくしてもらって・

自分がたまたま川原湯に泊まっていた時に、温泉旅館の大火災があった事も覚えています。
夏には「せいこチャン」という、中学を卒業したばかりの子守りのお姉さんも一緒に連れて、温泉に行きました。

せいろの粟飯を食べてきました。
食べている間、ずっとおばさん二人がそばに座って私の顔を見て、
ため息ついては「あの頃は、楽しかった・・」いろいろな話をしてくれました。

当時、やはり材木屋の倅だった中曽根さんも、炭や薪を貨車積みして東京へ出荷していたらしい。
うちのおやじと中曽根さんで、貨車積みの順番で大喧嘩もしたらしい。
二人とも、戦地帰りで威勢がよかったらしいです。
私は、まさに日本のエネルギービジネスの創世記から生きてきたわけです。

その後、コカコーラレディスという女子プロゴルフのチャリティー競技があって、
伊香保温泉のグランドホテルに泊まって前夜祭をしたことがありました。
今は亡き中曽根さんのお兄さんの吉太郎さんと二人で同部屋になりました。
「おい、若い衆、あんたあの○○さんの倅だって・・・?、それじゃ芸者遊びが好きだろう・・・」
というわけで、女子プロのお偉いさんも含めて、部屋に芸者を揚げて大騒ぎ、翌日は、さすがの中曽根の爺さんも頭が痛くてゴルフになりませんでした。
伊香保カントリーの想い出です。

なんで、朝から芸者遊びの話題なのでしょう。
そのうち、時間ができたら小説にでも書いてみたいようなお話です。

今日は、外資系大手ディーラーでのシステムプレゼンテーションです。
気合いを入れて、頑張ります。