ゆきちゃん通信++日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日を
母親(tomi)の目を通してお伝えします。

基礎体温(過去の日記の補足6)

2018年08月07日 | 過去の日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記



性教育のM原先生が
由紀子の様子を見ていて
PMSかもしれないと気がついて

ちゃんと診断を下すために
基礎体温の記録をつけるように言われました。


正直、当時の由紀子には無理だと思ったのですが


何事もやってみないと分からない!!

と、思い直して、
とりあえず挑戦してみることにしました。


M原先生が記録を記憶できる
最新型の婦人体温計を用意してくださったのですが

計測時間が5分もかかってしまうので
途中で由紀子がイライラして・・・

失敗!!
(ヘ||_ _)ヘ ガクッ


それで、計測時間が短い体温計を探したら
1分計というのがあったので購入して再挑戦しました。

それくらいの時間なら
由紀子も我慢できるようで

それから毎朝、目覚めて布団から出る前に
基礎体温の計測を始めました。

これが、最初の月の記録です。


まだ体温を測ることに慣れていないので
測れなかったりして
綺麗な波形は出ていませんが


M原先生はこの表を見て
15日からPMSが始まって
28日に生理が始まるまで続いていると
言われました。


「生活の様子」という欄に

不眠
食欲不振
イライラ
自傷
不登校

の項目があって
その強さを◯と◎で記録しているのですが

PMSの期間中に集中して

生理が始まると
不眠やイライラや自傷が、治まっているのが
分かると思います。

最初の月から、
こんなにはっきりと分かるとは
思っていませんでした。

それから半年間、
基礎体温表を記録し続けて

正式に「月経前症候群(PMS)」の診断が下りました。


M原先生に

「お母さん、よく6ヶ月間も
記録をつけることを頑張りましたね!」

と、褒めていただきましたが


6ヶ月間も続けられたのは・・・

由紀子が自閉症だったからです。(笑)


毎朝のスケジュールに組み込んでしまったので
母が測るのを忘れていると

「お母さん!お熱!!」
と、由紀子が教えてくれていたんです。(笑)

自閉症のこだわりの強さが
こんな時に役立つとは・・・
o(〃^▽^〃)oあははっ♪



PMSであるとわかったときから
母の心の負担は
かなり軽くなりました。

PMSの時期以外にも
自傷や他害はありましたが

大きなパニックが起きるのは
決まってPMSの時期でした。


カレンダーを見ながら
PMSが近づいてきたら

「そろそろ荒れてくるぞ!!」
と、覚悟を決めて

薬も躊躇なく増量して

ストレスのかからない生活をさせるように
心がけました。


それでも、暴れることが多かったのですが

「あと、◯日我慢すればPMSが終わって
少し落ち着いた生活ができる!」

と、先の見通しが立つことで
つらい生活も我慢できました。



この基礎体温表を見ると分かるのですが

夏休み前にPMSの末期が重なったせいで
学校に行けない日が続いて
とうとう終業式に参加できないまま
夏休みへと突入しました。

長い夏休み・・・
由紀子の強度行動障害との戦いは続きますが

母は由紀子の荒れる原因の一つが分かって
少し気持ちを立て直すことができたみたいで


8月1日から日記を再開しています。


補足はここまでにして
明日からは当時の日記を
アップしていきます。


=END=
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PMSだった・・・(過去の日記補足5)

2018年08月05日 | 過去の日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記

6月6日、
由紀子は学校にまた通えるようになりました。

小さなパニックは続いていましたが
学校へは通うことができていました。

でも、自宅では夜になると
やはり大きなパニックが起こって

薬の量を二倍にしたりして、
なんとか落ち着かせたりしていたようです。


薬を増やせば、昼間に眠気が残るわけで
学校では眠くて動けなかったりして
先生方には、本当に迷惑をかけていました。


その頃、学校では宿泊学習に向けての
事前学習や、歩く練習、などが
行われていました。



連絡帳には

パニックを起こしながらも
毎日、頑張っている由紀子の様子と

心配しすぎて・・・
めんどうくさい母の文章が書かれてあって

今読むと、先生方には
本当に申し訳なかったと思います。(笑)



6月16日・・・宿泊学習

前日は「行かない!」と言って
パニックになりましたが

行ってしまえば、
みんなと一緒に楽しい思い出を作って
無事に帰ってきました。



よかった!とホッとした頃
段々と由紀子の様子がおかしくなっていきました。

その頃は、宿泊学習で頑張りすぎたのかもしれないと
思っていました。


そして、また事件が起こります。



6月23日
田植えの体験学習に出かけた由紀子が
帰り道でパニックを起こして逃亡し
一時、行方不明になりました。

その日、PTAの役員会に参加していた母は
その知らせを受けて
車で現地へ走りました。

先生方が探してくださっていましたが
まだ由紀子は見つかっていませんでした。

周りは田んぼの中に数件の家があるだけで
見晴らしのいい場所なのに

由紀子の姿はどこにも見えませんでした。


近くのスーパーに入り込んだかもしれないと思って
お店の中を探しましたがいません!

それで、スーパーの駐車場から田んぼに向かって
大きな声で由紀子の名前を叫んでみました。

(メ`◇´)≪「ゆ~き~こ~~~!!」


すると、田んぼ側にいた先生が

「いたぞ~~~!!」


なんと由紀子は民家の影に座り込んで
隠れていたようです。

母の声が聞こえて
自分から出てきたそうです。

ヽ(  ̄д ̄;)ノ ハラホレヒレハレー


母が助けに来たと思ったのかもしれませんが
ホッとした母に
めちゃくちゃ叱られてしまった由紀子は

半泣きで学校へ強制送還されました。(笑)


でも、この日から
大きなパニックで暴れるようになって
また二週間学校を休むことになりました。


この数日後、
長崎の精神科の主治医のところへ
私一人で薬を取りに行ったのですが

そこで、性教育のM原先生から

「由紀子の体調の変化は
月経前緊張症(PMS)から来ているのかもしれない!」

と、いう事を言われました。


※その当時はPMS とは言わず
月経前緊張症と言っていました。



由紀子は性教育の一環で
「からだ手帳」というのをつけていて
生理の周期を記録していました。

その手帳を見ながら確認したのですが


前回、病院でパニックを起こしたのが
5月25日

そして、今回のトラブルがあったのが
6月23日


完全にPMSの周期と一致していました。


これが月経前緊張症(PMS)という言葉との出会いでした。



=END=
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学校への復帰(過去の日記の補足4)

2018年08月05日 | 過去の日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記



薬のおかげで
昼間は布団から起き上がって
普通の生活ができるようになりました。

相変わらず、
夜中に起きて小さなパニックは起きていましたが
この時も、頓服で出してもらった薬で
なんとか対応できるようになりました。

生理も始まって
パニックが少し落ち着いた数日後
由紀子は学校へ行きました。


その日に母が書いた連絡帳の内容です。

『先生方にはご心配をおかけしました。
食事も土曜日から普通に取れるようになりました。

今日、学校に行くことも素直に納得し
自分が学校に行っている間に
私にスーパーのチラシ(懸賞ハガキ)を
集めてきて欲しいと頼まれました。

「ゆきちゃんは学校、お母さんはチラシ!」と
合言葉のように繰り返しています。

宿泊学習も日程表を見せて説明したら
「行く!」と言いました。

先生がおっしゃった、

「親の思いと、子どもの思いが
必ずしも同じではない」
ということがわかった気がします。

でも、宿泊学習に関しては
時々「行きたくない!」とも言います。

由紀子の中でも揺れているのだと思います。
この後の体調、ストレス具合を見て
ギリギリのところで決めたいと思います。』

・・・ここまで・・・・



「先生がおっしゃった・・・・」
のところですが

由紀子が学校を休んでいる間に
担任の先生は何度も家に来てくださったり
電話をくださったのですが

どんな話をしたのか
よく覚えていません!(汗)

でも、なんとなく想像できるのは・・・

由紀子は落ち着いてきているのに
私が守りに入ってしまって
学校に行かせることも、
宿泊学習に行かせることも
拒否していたのだと思います。


私が、無理だと思っていても
由紀子は行きたいと思っているかもしれない

そうおっしゃったのかもしれませんね?!


先生からの返事です。


前半は省略します。

『午後からも自らすすんで事前学習に参加し、
「宿泊学習に参加する人?!」に「はーい!」と
答えていました。

この調子で当日までパニックにならず
宿泊学習に参加できればいいですね。

給食の時間、煮物、魚フライ、味噌汁をきれいに食べ
食べ終わってからも機嫌よくパズルをしていました。

久しぶりの学校に、今日は楽しかったのではないかと
思いました。』

・・・ここまで・・・

由紀子はPMSが終わって
調子のいい時期に入って
学校を楽しむ余裕が出ていましたが

私は、まだ立ち直れずにいました。

せっかく落ち着いたのに
ここで無理をさせたら
またパニックの連続になるかもしれない!!


この頃、まだPMSの診断が出ていませんでしたし、
PMSそのものを知りませんでしたから
先の見通しが立たなくて・・・
不安ばかりでした。


この後、母が連絡帳に書いている内容が
日に日に面倒くさくなっていきます。(笑)

完全に私のほうが
病んでいましたね!
( ̄ェ ̄;)


でも、とりあえず
由紀子は学校に復帰しました。


=END=
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病院での大パニック!(過去の日記補足3)

2018年08月04日 | 過去の日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記

その頃、まだ、PMSという診断は受けていなかったのですが

なんとなくですが
生理の前には
由紀子が不安定になることは気がついていました。


この時期のPMSの症状は本当にひどくて・・・

5月24日の連絡帳の中には

『眠れない→眠い→イライラする→頭を叩いて興奮する→眠れない
この悪循環が続いています。

最近は自傷を止めると、
その相手に攻撃をしてくるようになりました。

イライラが高まると、
ギャー!と、奇声を発して頭をガンガン叩きます。

見ているのが本当に辛いです。』


と、書いていました。

そして、
「次の日に精神科の主治医のところへ行って
薬のことを相談してきます。」


と、書いた後、
連絡帳は止まっていました。


その次の日にあったことを
思い出しながら書きます。


その日は主治医の診察と性教育を受ける予定でした。

長崎までJRで行ったのですが
その頃までは大好きだった列車の中で
由紀子は耳を押さえて黙り込んでいました。

パニックになるのではないかと
ドキドキしましたが
なんとか長崎の主治医のいる病院まで
たどり着いたのですが・・・

待合室に入った途端に
ついにパニックが起きました。

床に寝転がって奇声を発して
頭をガンガン叩いて・・・

診察室から主治医と性教育のM原先生が飛び出してきて
由紀子はみんなに抱えられて
診察室へと運ばれました。

診察室のベットの上でも
パニックは続いていましたが
10分ほどして、
やっと少し落ち着いてきました。

「パニックがひどいと聞いていましたが
こんなにひどいとは思いませんでした。
でも、実際に様子を見られてよかった!
薬を増やしましょう!!」

主治医はそういって
その日から投薬の治療が始まりました。

そして、その日から
由紀子は学校へいけなくなりました。

感覚が過敏になって光を嫌がるので、
我が家の遮光カーテンは
締め切ったままになりました。

そして、音にも過敏になって
テレビもラジオもCDも全て消されて
無音状態になりました。

その中で、
由紀子は目に腕を乗せたまま
ずっと布団に寝ていました。


食事も取れなくなって
口にするのは、果物とゼリーとプリンだけ

お風呂に入れても
頭も体も洗えなくなって・・・

今までコツコツと積み上げてきた
由紀子の生活が全て壊れたような気がしました。


夜になると
パニックがひどくなって
奇声を上げては頭をたたき続けて

興奮が高まると
家の外に飛び出そうとします。


母は泣きながら
由紀子を止めるのですが
暴れる時の力は強くて
母の腕はアザだらけになりました。


由紀子と一緒に死んでしまいたい!!


そう本気で思い始めていました、


そんな時、主治医は薬の調整のために
毎晩、電話をかけてくれました。

「薬が効かない!」

と、泣きべそをかいていた母に
主治医は

「薬が効くまでには二週間ぐらいかかるから・・・
二週間、頑張って!!」
と、言い続けていました。



そして、気がつけば二週間が過ぎ
生理も始まってPMSが終わり
由紀子は少しずつ回復していきました。


今思い返せば
たった二週間の出来事ですが

本当に地獄のような時間でした。




その頃の様子は
以前に強度行動障害の勉強をした時に

9.医療とのつながりについての中にも書きました。


=END=
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はじまり(過去の日記補足2)

2018年08月04日 | 過去の日記
2005年の日記の補足です。
思い出しながら書くので
自分の思い込みや、記憶の曖昧さで
正確では無いかもしれませんが

あの頃は書けなかったつらい思いを
記録として残したいと思います。

2005年4月の日記

由紀子は昔から運動会の練習が嫌いでした。

2005年の春も
運動会の練習をきっかけに
パニックがひどくなりました。


原因は音楽だと思います。

運動会の練習が始まると
各学年のダンスの音楽がずっと流れるようになります。

聴覚が過敏な由紀子には
つらい時期なのかもしれません。


養護学校に入学してから
一生懸命優等生を演じてきて
疲れてきた頃に始まる運動会は
なおさら堪えたのだと思います。


運動会の練習を拒否し始めたのと同時に
学校へ行くことを嫌がるようになって

学校の駐車場に着いても
車から降りずに
ずっと車内に籠城するようになりました。


今の母なら
由紀子の気持ちが整うまで
じっと待とうと思えるのですが

その頃の母は
車から降ろすことに必死になって
なだめたり、怒ったり・・・

母の焦りは、全て由紀子に伝わって
由紀子の心を乱すばかりでした。


なんとか車から降ろすことに成功しても

教室の前で大パニックを起こして
奇声を上げながら廊下に寝転んでしまうという
手のつけられない状況になりました。


その頃の連絡帳には


由紀子に無理をさせないように
工夫をしながら
いろいろと手を尽くしてくださる
先生方の様子と

それでも、不眠と自傷行為で
どんどん自分を追い込んでいく
由紀子の様子

そして、どうすればいいのか分からずに
途方に暮れて自分がパニックになっていく
母の様子が残っていました。


結局、運動会の数日前に
大きなパニックを起こして

眠れない
食べれない
布団から起き上がれない・・・

そんな状態で
精神的にも、身体的に限界が来て

運動会に参加できないまま
二週間ほど学校を休むことになりました。


=END=
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