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戦後の労使関係の変遷(一)

2016年03月30日 | 日々の出来事

前回の記事で、高校野球の春の甲子園があって、夏の甲子園が有り、

競馬では、春の天皇賞が有って、秋の天皇賞が有るように、行事の頭に四季語が載ると、

年に一回ということは無く、必ずセットになっているものなのですが、

春闘のように、頭に春と言う四季語が載っているのに、単独で存在するものが有る。

さてどうしてでしょう、と言うのが宿題でしたね。

お解りになりましたか?

 

 

勿論ご存知の方もおられるでしょうが、ここではご存知ない方を対象に、話を進めます。

 

戦後の大きな労使の交渉は、春の賃上げ闘争が有って、冬と夏のボウナス闘争がありました。

この冬と夏のボーナス闘争は、春の賃上げ闘争が収まった後交渉を開始しますが、

と呼ばれ 冬のボーナスと同時に次年度の夏のボーナスも決めていました。

 

賃上げ交渉をはじめて、埒が明かないと、ストライキを打ったりしますが、

この辺から、交渉を闘争と言い変えます。

勿論労使ともに思惑が有ったし、交渉は難航したので、これが労働組合の活動の主たるものでした。

どんな交渉をやっていたかと言うと、一例ですが

労組が、五千円の要求をだすと、会社はいろいろ理由をつけて、二千円の回答をだす。

労組は、話にならんとして、次の交渉日を指定して退場する

次の交渉ではたとえは゛千円上積みし、これが精一杯だと説明する。

労組は、「はいそうですか」と引き下がれないので、再考を促し交渉を打ち切る。

双方間を置いて、「上乗せをせよ」「無理だ」をくりかえした後、会社は「妥結金」として

二百~三百円上載せを提示。

労組は、「憤懣やるかたなし」顔で妥結提案をする。

どこの労使間でも、交渉前からそんなストーリーで進むことは読めているのですね。

だから士気も上がらないし、余り感動も無いわけです。

 

 

所が、ある年のある出来事を境に労使交渉は一変するのです。

この方向転換の主役は、製鉄の経営者と鉄鋼労連でした。

会社は「だらだら交渉をしても、出せないものは出せない、その代わり一発で

ギリギリ出せるものを出す」と労組に提案。

労組は積極的に賛成はしなかったと思いますが、一先ず鉄鋼がモデルとなって、

全国的に、賃上げ交渉のフォーマットが変わりました。

 

 

こう言う話は疲れるでしょうから、今日はこの辺にしましょう。

 

 

 

 

 



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