先週の土曜日は、同級生が二人相次いで同級会のスナップを農天市場に持ってきてくれた。
やはり、スナップショットはカメラを意識しない自然に近い良さが有る。
面白く時の経つのも忘れさせてくれた同級会を思い出した。
美女二人に話しかける、怪しいスキンヘッドは私、スベルべです。
学年で、いや全校でもっともモテタ、アイドルに恥ずかしげも無く話しかける図々しさ。
そんなアイドルともその後付き合っていた時期も有ったけれども、全て追憶の彼方。
「下駄を鳴らして奴が来る~♪」と、恥ずかしげも無く歌を披露する。
気分は「松山千春」でしょうか、いえね、頭だけね(笑)。
宴会の席はクラス別の指定は有っても、個人別の指定は無かった。
みんなが、おずおず、うろうろと座る席を探す中、「はい、男女交互に座ろう」
なんて、図々しく指示したのも実は、羞恥心をかなぐり捨てたスベルべでした。
皆が共有した多感な十五歳の一年間は、女の子たちに聞くと、どこか、寂しげな表情が多いスベルべだったとか。
当時の家庭環境が反映されていたのだったかも知れません。いや、人一倍多感だったのかも(笑)。
アレッ、出席者は男子8名、女子11名の合計19名のはずだったけれども17名しかいないぞ。
良く見てチェックすると女性が二人欠けています。どこかへ行っていたタイミングだったのかな。
男性の中には陸上の400メートルで県で4位になったと記憶している短距離のエースも。
そして、女性の中には美女ながら同じく砲丸投げで県で3位に入った猛者?もいます。
本当に五十年前、15歳の一年間はドラマチックなものでしたね。
文字通り、一心同体って感じで人生でも貴重な年齢を共にしたのでした。
今回は欠席だったけれど、二月の彼の誕生日に、教室での「馬跳び」と言う遊びの結果、
足の膝関節を骨折すると言う大けがを負わせてしまった。
その年、昭和38年は大雪の年で、しかも、国道も除雪はされず、雪に閉ざされていた。
責任を感じた、男子はでこぼこの雪道を、担架に乗った彼を交代で担ぎ、県立病院まで搬送したのでした。
陸上大会も思い出します。圧巻は男子400メートルリレーで今でもまぶたに浮かびます。
一走は小柄ながら頑健で、下駄履きで越後駒ケ岳に登った奴で、二位で引き継いだ。
二走も、ばねの利いた良い走りで、そのままの順位を保つ。
シメタ、これならばアンカーのエースでトップが取れる、優勝だと一瞬思った。
しかし、何と二走から三走へのバトンタッチで、バトンを落とすと言う悲劇が襲った。
その後の三走の走りが素晴らしかった。
小柄で細身の三走は、素晴らしい切れ味で最下位から一気に前の走者を抜き去り、
元の二位まで順位を戻したのです。
嘆声はたちまち歓声に変わり、クラス全員は優勝を信じて大歓声で声援です。
しかし、二位に戻ったとは言え、やはり、一位との差は大きく、さしものエースもトップには届かなかった。
残念!でも、本当に頑張った仲間意識の結実、結束の400メートルリレーだったのでした。
第一走者の彼「ジャマ」は、バブル経済のパンク時に事業が失敗し自ら命を絶ってしまった。
そして、素晴らしい切れ味のスプリントを見せた、第三走者の「ヒロユキ」も昨年の春に病気で亡くなってしまった。
おませだった、彼女も一人欠けてしまったし、本当に全員が揃っての同級会にしたかったなー。
でも、天国には届いたかな、宴会が始まる前に出席者全員で捧げた30秒の黙祷が。
そして、それに次ぐ本当に賑やかで楽しかった同級生の集い、歓声が。