今週はウィーンに来ている。音楽の都で美しい街である。
日本からはオーストリアエアの直行便で来たのだが団体客が多く満席だった。ほとんどが女性だったように思う。私の隣も若い女性だった。
午後の4時前にチェックインしたのだが、飛行機の中でほとんど眠らなかったので疲れていてそのままベッドに入ってしまった。おかげで時間がずれてなかなか時差ボケが直らない。
昼間は会議なので街に出るのは夕食のときくらいだが、街中に電信柱や電線がないことに気がつく。おそらくかなり前から地下埋設が進められていたのだろう。
ヨーロッパの街は建物も含めて100年くらいは変更しないように設計されていると感じる。これがコスト削減につながり、豊かではない地域でもしっかりした都市インフラができている理由になっている感じがする。
一方、オーストリア料理は日本と比べるとずいぶんバラエティが少ない感じがする。いくつかの店に行ったが10種類くらいの共通なメニューで、肉のカツレツ、シチュー、分厚いハムなどがベースになっているものが80%くらいを占めている感じがする。長くいると飽きてくるのではないかと思う。
飲み物に関してはオーストリアはドイツ語圏ではあるがビールは大したことはなくワイン、それも白ワインが美味しい印象である。
金曜日は昼までで会議が終わるので街に出て写真を取ってこようと思っている。天候が心配ではあるが・・
私は正直言って、仕方がないのではないかと思っている。今回の条約は全世界ではなく大西洋地域のようだが、いずれ全世界に広がるだろう。マグロは次第にめったに食べられなくものになっていくだろうと思う。
漁業関係者が困るとか、寿司ネタが減るとかいろいろと問題はあるだろう。しかし、人類が圧倒的に他の動物に比べて強くなり、しかも世界の人口が増え続けている現在の地球の状況を考えれば、野生の動物、植物を取って事業として販売する行為は次第に禁止されていって、管理された状態でしか採取できなくなるのが世の中の流れだろうと思う。
その意味では、シーシェパードのクジラ漁の妨害とは全く質が違う。クジラ漁は既に規制されており、条約で認められた量を取るという本来あるべき姿になっている。これに対しては毅然と抗議するべきだろう。
私は政府に対しては、マグロに対しては引く、クジラに対しては押す、といった明確な使い分けをしてもらいたい思っている。それで日本が単に自分が食べたいという我儘を言っているのではなく、きちんと世界の食糧事情を考えた行動をしているということを通すことができるだろう。
この私のような考えの人は日本の中にはほとんどいないのだろうか? 報道を見ると、反対、困ったといった話しか出てこない。マスコミにはもっと多様な意見を紹介することを求めたいものだが、現在の日本のメディアでは無理だと思うので、もっと外資系のメディアに国内で活躍する場を与えるべきだろう。
私もこれは良いと思う。全国的にやるのではなく地域別に少しずつ進めるのが良いだろうと思う。ただし、電線の埋設工事に予算を何兆円か付ける、という進め方をするなら反対である。
この種の新たな公共工事を都市部で行うなら、以後1年間は道路を掘り返さなくて済むような統一的な工事の進め方をすべきだと思う。現在の工事は縦割り行政の影響で水道工事、下水工事、ガス工事、電気工事のたびに道路の同じところを掘り返しており、これが日本の都市インフラのコストを大幅に上げていると感じている。
詳しく調べたことはないのだが、ヨーロッパなどでは都市計画をするときに相当先までを見こして、これらのインフラを整備している感じがする。これが長い目で見れば低コストで質のよい都市インフラを作っていることになっていると感じている。中国のシンセンなどの新しく作られた都市やシンガポールなどにも同様なものを感じる。
このブログでも何度か書いたが、日本の内需型産業の高コスト体質が日本の国際競争力の足を引っ張っていると私は考えているが、その大きな要因が、この種の公共投資の無駄遣いにあると思っている。
この際工事のやり方を見直すという条件付きで、電線の地下埋設に賛成である。もし工事方法を見直さないなら、今のままで我慢するほうが良いだろうと思っている。
最近、あちこちで道路工事をしており、車や通行人にとっては不便である。この光景を見ると「あ、年度末なんだな」と思う。
私が会社で課長くらいだった頃、研修で色々な部門の人が集まって話をする機会があった。その時に確か、「顧客の求めるものは何か」「それをどうやってきちんと提供するか」といった課題があったと思う。
その課題に対して政府などの公共部門に対する営業の人が「顧客の求めるものは予算どおりに経費を使い切ることである」といっていて、私はずいぶん驚いた記憶がある。もう20年近く前の話だが、年度末の道路工事をみると「お役所は今も変わっていないのか」と思う。
鳩山政権は複数年度予算を検討するなどと言っていたが、その後その話は聞こえてこない。多分国家戦略相の仕事になるのだと思うが、検討は進んでいるのだろうか? 複数年度予算にしたって、価値観が「たくさん予算を取ることが良いこと」というところから動いて効率を重視するようにならなければ本質的な解決にはならないと思うが、問題意識が政治家にあるだけでも良しとしよう。
本来であれば、こういった問題も自民党が検討して政府より先にマニフェストとして出すと良いと思うのだが、どうも自民党にもそのような動きは見えない。最近与謝野氏が執行部批判をしているようだが、色々提案をしても拒否されているのか、自分は何もしないで待っていて「執行部は何もしない」と批判しているのかどちらなのだろう?
私にはどうも後者のように思える。以前公務員改革のところで述べたがこういった公務員の意識改革をしないと、国家としての日本は良くなっていかないと思う。
国家ではなく国としての日本は国民全体のものである。公務員改革などを待たずに、自ら動いていく必要がある。
「政府は日本のビジョンを持っていない」といった批判はよく聞くが「私は日本はこうあるべきだと思う」という意見はめったに聞かない。これを盛り上げていかないと明るい未来は見えてこないのではないかと思う。
雪や雨だった火曜日、水曜日から一転して今日は快晴の朝である。通勤途中のマンションのベランダにも洗濯物や布団が並び始めている。
この時期の洗濯物には花粉が付着して花粉症に影響が出やすいので私としてはあまり外で干してほしくないのだが、やはり太陽光で干すほうが気持ちが良いと家内は言っていて家でもめることがある。
ところで、屋外で洗濯物を干すのはアジアや中南米の習慣で欧米人はあまり外で洗濯物を干さないようである。アメリカでは、洗濯物をベランダで干すことを条例で禁止している地域もあり、「省エネに反する」と条例廃止運動を起こしている人もいると聞く。
考えてみればヨーロッパのマンションも出窓はあるが、ベランダは無いところが多いと思う。日本だとマンションを買う時にベランダで洗濯物を干すスペースがあるか、日当たりは良いかが一つの大きな条件となっているのとは大違いである。
アメリカで洗濯物を干すことを禁止しているところの論理は景観上の理由だそうである。屋外で洗濯物を干しているとみすぼらしく見えるというのが根拠になっている。
こういった景観上の理由で住民の行動を制約する条例を作ることができるのも欧米の特徴だと思う。「公」と「私」に関する感覚が日本とは少し違っているような感じがする。細かいところだが民主主義がうまくいくには、こういった個人の行動の制限を受け入れる風土が必要だと感じている。
ただし、この洗濯物の件に関しては、私は外で干すほうがよいと思っている。花粉の時期を除いて・・