ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

日本の大学のレベルを上げるには

2017-04-22 09:29:08 | 東工大

先日、私が東工大の特任教授になる際に声をかけてくれた安藤教授の最終講義があり参加してきた。最終講義は定年で引退する教授が行うものであるが安藤教授の場合には東工大の副学長になっており、電子情報通信学会の会長になることも決まっているので、これからは暇になるどころかますます忙しくなって日本の大学教育、学術振興に関して尽力しないといけなくなるだろう。

日本の大学は世界でランキングがどんどん低下してきており、この傾向は今後も続くと思われる。大学だけでなく産業界全体、つまり日本全体の競争力が低下してきているので、大学だけの問題ではないのだが、大学のランキング低下は産業全体の低下よりも早いペースで続いている感じがする。これは何が根本原因なのかを考えてみたいと思う。

日本の大学の停滞感の最大の原因は新陳代謝の悪さにあると思う。これは組織が硬直化してきていて、新しい発想が出にくくなっているということである。大学は教授個人が中小企業の社長のような感じでほぼ独立した運営権を持っており、大学全体でみると中小企業の集合体のような形になっている。中小企業の社長はそれぞれが自分の会社を維持したいと願うから、大学全体の予算が増えない現状で新しい中小企業ができることは極めて稀で、これが組織の硬直化につながっていると思う。

大学が中小企業の集合体であるということは、大学が学問という分野を扱っており、多様性が重要視されることから仕方のないことであり、世界中で多かれ少なかれ、そのような性格を持つことは必然性があると思う。しかし、日本では大学教授たちが研究室を持つことを既得権と考え、パフォーマンスの悪い研究室をつぶすことが極めて困難であるという風土があるし、そのような仕組みになっている気がする。少し前に文部科学省が「文科系の学科を減らす」と発言して袋叩きにあったが、社会的に役に立っていない分野には補助金を減らすというのは自然な発想であり、メディアが文科省に反対の意見ばかりを取り上げるという、日本の風土では大学の改革は進まないだろうと私は思ったものである。

中国などでは国が事業を行っている分野がかなりあり、大学がその開発センターの役割を担っている場合も多い。このような分野には開発資金が投入されるので予算規模が全く違ってくる。国際ランキングを上げる上で大学に資金投入が大きいほうが良いことは間違いないので、中国の大学がランキングを上げてくるところが増えるのは止めようがないだろう。日本の大学は経済状況が似通った状況にある欧米の大学との比較で考えるべきだと思う。

欧米の大学との比較で私が気になっているのは研究室の雰囲気である。長年GoogleのCEOを務めたエリック・シュミットが「How Google Works」という本の中で「私がGoogleに経営陣として招かれた時には、いよいよ彼らのビジネスの世界で戦う決意をしたのだな、と思ったのだがラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンから依頼されたのは、『大学の研究室のような雰囲気を保ちつつ、Googleを発展させてほしい』ということだった。そして今、Googleは6万人を雇用する大企業になったが大学の研究室の雰囲気を保っている」と誇らしげに描いている。ここで言う「大学の研究室のような雰囲気」の組織とは、権威主義的でなく、自由な発想でモノが言えて、良いアイデアが採用されていく、ということを意味している。そしてエリックがこういう言い方を本の中でしているということは「大学の研究室のような雰囲気」という概念が広くアメリカ国内で共有されているということだろう。

日本の大学ではどうだろうか。教授と学生の距離が社長と新入社員の距離よりも近い、ということは事実である。これは研究室が中小企業的な小さな所帯だからだろうと私は思っている。一方、「権威主義的でない」かという点に関してはかなり怪しいと思っている。「誰が言ったか」で受け止められたかが大きく異なるのが一般的な研究室の空気ではないだろうか。これは言うまでもなく教授の個性による点が大きく、権威主義的な研究室もあるし、そうではない研究室もあるだろう。だからこそ、全体として権威主義を排して自由な発想が出やすくすることは難しい。私自身答えを持っていないのだが、大学全体の雰囲気を変えていくことは大学のマネージメント上極めて重要だと思っている。


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4 コメント

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学校と学科の評価 (世田谷の一隅)
2017-04-25 13:55:03
学校や学科、教授を誰が、どの様にして評価するか、その結果がどの様な形で反映されるのかに尽きると思います。

事業会社であれば、そのアウトプットである製品やサービスを市場や顧客で評価され、気に入ってもらえれば存在、発展を続けられます。評価されない事業や商品は縮小、もしくは撤退を強いられます。

教育事業、学校の場合はどうでしょう。高校までであれば、特定の大学合格者数等、客観的な数値がありますが、大学の場合は評価基準がなかなか難しいと思います。入学の際の偏差値は一つの尺度ですが、それは大学で行われる授業、研究の努力とは直接に結び付き難いです。

まして、夫々の学科や教授レベルの評価をどのような基準で誰が行うのか? が明確ではありません。その際にも、「駄目」と烙印を押された分野をどのように縮小、撤退するのかです。そのような外部からの刺激が効きにくい学問の世界を、否応なしに自分達で変えざるを得ないような仕組みにするのは本当に難しいと思います。

私は、行政府なり、学生、もしくは卒業生の受け入れ先である社会が、何か(イベントや事件)あった際に、それがきっかけで、その学校が廃校か他組織への吸収にまで追い込まれるような事態が必要ではないかと思います。(学校、学科、教授単位で)

1980年代に起きた国鉄、NTTの民営化にみられるように何らかの外部刺激により、自分たちが改善しないと生き残れないと認識した所から出発するのが一番です。結果的に国鉄にしろ、NTTにせよ民営化でサービス産業としての質が改善していると思います。

もちろん、短兵急な競争原理だけに走ると、米国でベル研が持っていたような基礎学問の領域が疎かになってしまうのは避けられないので、そこをどのように救うかも一面では考慮する必要があります。

いずれにせよ、日本では人口が減少する事態に対し、大学をはじめとし、教育産業がもう少し淘汰されないと、支援するべき組織、機能が散漫に広がっている事が根底にあります。
レベル低下の一因…? (UCS-301)
2017-04-26 13:12:26
これは中部大学教授でもある武田邦彦氏がおっしゃられていましたが、日本の大学のレベル低下は個人主義の浸透が原因ではないかとのことでした。つまり、昔は大学教授が学生を育て上げることを主眼としていたのに対し、現在では教授が自分のこと(研究や出世)で精一杯となり学生の指導が二の次になっているとのことです。

ウィトラ様は実際の現場におられたわけですが、そのような印象はおありでしょうか(他の先生方と学生の関係性は見辛いかもしれませんが…)。
大学の雰囲気はそれほど変わっていない (ウィトラ)
2017-05-04 17:44:06
UCS-301さんの個人主義への回答ですが、私はそれほど変わっていないと感じます。
昔と今とを比較するために昔の雰囲気というのは私の個人的経験しかないのですが、卒業して30年以上経過して大学に入っても特に違和感は感じませんでした。
教授(研究室)ごとに差は大きいと思われ、レベルの低い(余裕のない)教授が増えているということはあるかもしれません。それはレベルの低い大学の話だと思います。
大学教授の目標は研究と教育です。学部の学生は所謂授業が殆どですが、修士以上になると「どういう研究テーマを与えるか?」が重要です。
学生が自分でテーマを見つけられることは稀なので、教授がテーマを与えるのが普通ですが、アイデアの出ない教授は重箱の隅をつつくようなテーマなしか与えられなくなる、というのが問題です。
修士以上の学生の育成に関しては研究力と教育力が結構関連していると思います。
ご返答ありがとうございます (UCS-301)
2017-05-04 19:42:04
ウィトラ様、ご返答ありがとうございます。

近年では小保方氏(早稲田大学)の論文騒動などもあり、論文指導が蔑ろにされている印象でしたので質問させていただきました。(博士論文を受理しておいて、後になって取り消しというのも学生側にとっては理不尽だと思いました。)

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