ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

府中事業所への引っ越し

2010-07-26 08:42:59 | 昔話
私が溝口のパーソナル開発研究所に異動になってから1年ちょっとで開発研究所全体が京王線の分倍河原にあるNECの府中事業所に引っ越しになった。これはNECホームエレクトロニクスの業績がますます悪化し、溝口の事業所全体を引き払うことになったからである。

当時は、横浜市の鴨居にある横浜事業所が無線関係をやっており(現在はララポート横浜になっている)、コンピュータ関係が府中事業所だったのだが、開発研究所全体ではパソコン関係の仕事が多く、パソコン部隊のいる府中事業所になったものである。私自身は無線関係の仕事をしていたので横浜事業所で働く可能性が高いと思って、横浜線の十日市場駅からバスで行く若葉台団地にマンションを買っていたのだが、予想に反して府中事業所勤務となり片道100分の通勤となった。通勤時間が100分を超えると単身赴任の手当が出るのだが、単身赴任のつもりは無く、バスと電車を乗り継いで通った。夜遅くなったときなどは近くにある会社の寮に良く泊まったものである。

府中事業所に通うようになるとパソコン部隊との打ち合わせにも出るようになった。当時NEC のパソコンは国内シェア50%近くを持っていて絶好調であったが、マイクロソフトの力が強まるにつれてハードウェアの標準化が進みハードでは差別化が困難のなってきていた。それでどういうやり方で世界標準と合わせていくか、などの議論を良くやっていた。あるとき、マイクロソフトが携帯端末のOSの話を相談したいとNECの上のほうに持ちかけ、無線の専門家ということで私が呼ばれて話を聞くことになった。向こうもR&Dグループだったのだが、彼らは技術よりも事業シナリオから入っており、通信をずっとやってきた私にとっては非常な驚きだった。

それまで私は大学と似たような、技術動向を見ながら課題を見つけ新しい技術を見つけるとその使い方を考える、というアプローチだったのが、技術を部品として捉え、市場はどんな技術を求めているか、どの部品が事業をするうえで不足しているか、というものの考え方、アプローチは自分にとってとても新鮮だった。後にはマイクとソフトの本社を訪問して意見交換をしたりするようになったのだが、一連のマイクロソフトとの付き合いは私にとって技術の捉え方を変えるものだった。