出会い系依存メンヘラ理系女子の自伝的日記。

双極性障害2型を患った筆者(26歳独身無職・リケジョ)の半生と日常を徒然と語るブログ。

注意:惚気です。

2016-09-09 21:05:45 | 発症から現在にいたる...
 お付き合いを初めてまだほんの数か月なので、付き合いたてのただの惚気といえばそうなのかもしれないが、今日は今お付き合いしている彼について書きたいと思う。
 
 結局2月にあった試験を受けることもできず、私はまた出会い系に勤しんでいた。しかしラミクタールによってなんとか冷静さを取り戻し始めていた私は、どうにか出会い系依存から抜け出そうと決心した。出会い系アプリを削除し、出会い系で知り合ったすべての人の連絡先も消去した。この時、実は今付き合っている彼の連絡先も削除していた。

 私がメインで使っていたのはTinderというアプリで、欧米では結構メジャーでセレブなども使っているものであった。そのアプリは、一定距離以内(距離は自分で設定が出来る)にいる人の写真やプロフィールをチェックでき、お互い気に入ればメッセージ交換が出来るというものであり、彼ともそこでマッチしWhat's appという別のアプリでやり取りしていた。他の人とはだいたい簡単な会話をする程度だったのだが、彼とは人生に対する考え方、将来の夢、自分の過去や未来についてなど、なかなか深い話をすることが多かった。距離が離れていたため(新幹線で2時間かかる距離である。彼と私がマッチしたのは、彼が2月にたまたま私が住む地域に旅行に来ていたため。)、会うことを前提としていなかったことと、お互いを実際に知らなかったことが、逆に幸いしたようであった。しかし、出会い系断ちをして自分を変えたかった私は、2か月近く毎日のように色々な話をしてきた彼の連絡先も消してしまったのである。

 連絡先を消した翌朝、SMSに彼からメールが入っていた。「君のメッセージは受け取ったよ。どうか、君が素敵な人生を送れますように。」(ちなみに、実際に相手はフランス人ですが英語です)
 気づくと私はまた、彼と連絡を取るようになっていた。そして思いもしなかったことだが、彼がついに私に会いに来ると言い出したのである。(ちなみに方法はヒッチハイキングでした。笑)

 出会い系というと怖いイメージがあるかもしれないが、本当に使い方次第である。はっきり言って、おすすめしない。しかも私の経験上、何かしら心に傷を抱えている人、こころの病気の人の割合は通常より高いと思う。ヤリモクの人ももちろん多い。闇が深い世界である。実際彼とも、「出会った方法がTinderなのは、あんまりクールじゃないよね汗」と言っていたが、今は「でももう使う必要がなくなったね」と話している。

 早期に双極性障害と診断してもらったことに加え、たとえ出会い系というあまりお勧めできないツールを通じてであっても彼と出逢えたことは、本当に幸運だったとしか言いようがない。

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大凶。

2016-09-08 20:46:36 | 発症から現在にいたる...
 カナダ人の彼と別れてから、私は再び国家試験の勉強を始めていた。正直まだ一年足らず前のことなので思い返すのがつらいのだが、自分に鞭打って勉強に励んでいた。そして、またダウンしてしまったのである。この時、今の病院とは違う病院に通っていたのだが、11月ごろに双極性障害2型の疑いがあると言われた。当時自分は鬱病だと思っていた私は、ただなにそれ?という感じで、勉強に必死だったのもあり事態を理解できていなかった。そして無理をした私は、クリスマスに大学へ願書を書きに行ったことをきっかけに一気に悪化し、深刻な鬱状態に陥ってしまう。もちろん勉強は手につかない状態で、ただ一日中布団で横たわる日々は一か月以上続いた。そんな中、母に無理やり連れだされ、初詣でおみくじを引いた。なんと、大凶だった。でもその時私はほっとした事を覚えている。ああ、ここが人生の底なんだ。双極性障害にはなったけど、仕事は失ったし、国家試験も受かりそうにないし、毎日布団で寝る日々だけど、私以外の家族は皆健康だし、私もなんとか生きている。これ以上悪くことはないんだな、と。また、おみくじに書いてあった「病院を変えろ」という内容に思い当たるふしがあった。病院ではカウンセリングも受けていたのだが(30分5000円くらいした)、先生がカウンセリング中居眠りするのである。このおみくじが決め手となり、病院を変える決意をした。そして念のために厄除けのお守りを買い、家路についた。
 
 不思議な事だが、このおみくじを引いて以降、やっと私に運気が回ってきたようだった。まず、今診て頂いている先生に出会えた。知り合いの紹介だったのだが、信頼のおける先生である。そして、診察にしっかりと時間を取ってくださる。初診はなんと30分以上だった。また、今お付き合いしている彼氏にも出会うことが出来た。困ったときの神頼み、というのは本当かもしれない。

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カナダ人彼氏。

2016-09-07 11:54:49 | 発症から現在にいたる...
 さて、病院も首になり再びボロボロになった私であったが、そのカナダ人の彼氏がいた。彼とは出会い系ではなくいきつけのバーで出会った、友達の友達で、2015年5月ごろから交際が始まっていた。この彼と付き合っている間は出会い系依存は比較的沈静化しており、一人しか浮気しなかった(それでも浮気しているので最低だが)。その相手というのが出会い系で会った34歳アメリカ人男性である。結論からいうと、この二人はどちらも精神的に不安定であった。
 カナダ人の彼の方は一つ年下であったのだが、10歳以上歳の離れた元カノを追いかけて日本に来た後破局後も住み続けている人だった。普段は明るくて人懐っこい性格なのだが、酒たばこどっちもする人だった。特にお酒の方はひどく、何かを忘れたいかのように病的に飲む人で、彼とのデートはだいたいは夜に飲み歩くことであった。今思うと彼は思春期に問題があり、その葛藤に未だ苦しんでいたように思う。彼とは私が退職したのをきっかけにぎくしゃくし始め、9月末には破局してしまった。

アメリカ人の方は、バツイチの人だった。彼の過去については詳しく聞かなかったので分からないが、当時の私よりも情緒不安定であきらかに心に傷を負っていた。また彼も、出会い系依存だったと思う。彼と一晩過ごしたとき、ベッドの上で「Let's pretend that we are in love tonight」と言われたのを覚えている。今でもその場面を思い出すと悲しくなる。彼は明らかに、私以上に愛情に飢えていた。彼の連絡先は消去してしまってもう分からないが、立ち直って元気でいてくれることを願う。


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波乱万丈だと思っていたけれど

2016-09-06 16:18:46 | 発症から現在にいたる...
 波乱万丈だと思っていた半生だが(まだ半生といえるような歳ではないが)、文章にしてみると意外とコンパクトになってしまうもので、ああこんなもんだったのか、と拍子抜けしてしまっているのが実際である。そんなこんなで出会い系にどっぷりハマっている最中も、私はなんとか卒業論文を書き終え最終発表までこぎつけていた。獣医系の学部というのは他とは変わっていて、医学部のシステムともまた異なる。大学や、公立か私学かによって異なるものの、4年間みっちり座学と実習を受けた後、2年間研究室に配属され研究に従事する。幸い国家公務員試験を受けるために研究を先走ってしていた私は、卒業論文を書けるだけのデータを既に溜め込んでいたため、あとはそれを論文にして発表するだけであった。しかし、研究や研究室自体がトラウマのようになっていた私にとって、研究室に出向くこと、教授とミーティングをすること、さらにはメールでやりとりをすることでさえ耐え難い苦痛を伴った。したがって発表が終わったころにはもうエンスト状態で、そこから国家試験の勉強をする気力は残されていなかった。皆が勉強部屋で徹夜する中、出会い系で会った外国人と遊び歩き、現実逃避する日々。なんとか試験自体は受けたものの、もちろん受かるはずもなく内定を貰っていた病院へと謝りに出向いたのであった。

 そこで登場するのがこのハゲ医院長である。今思い出しても腹が立つのではっきり言って思い出したくもない人物なのだが、世の中には色んな人がいるという教訓を与えてくれたという意味では、感謝すべき人物である。先には述べなかったが、私は国家公務員試験を諦めた直後、数件病院見学をしてそのうちの一つから内定を貰っていた。その時には一過性の鬱であると考えていたため、1年弱あれば復活可能だろうと思っていた。
 獣医師として国家試験に受かる前提で貰っていた内定なので、就職はもちろん断られる覚悟で出向いた。それが、この医院長は「私の甥も同じような病気に罹っており理解があるから、看護師としてぜひ勤務してくれ。来れるときに来てくれたらいいし、試験に受かるのも2・3年ぐらいかかったって大丈夫」という旨の言葉をかけてくれたのである。当時の私と、その時同席してくれた父は、世の中捨てたもんじゃない、本当にいい人がいるもんだと感動したのを覚えている。しかしながら、もちろん就職後私の病状が安定せず欠勤を繰り返していたため、病院側の事情を考えると無理もないことなのだが、この医院長は裏を返したように態度を覆し、8月上旬に私本人ではなく父に、私の退職を迫ったのである。これが私はものすごく腹が立った。働いていたのは私であり、退職して欲しければ理由を説明すべきなのは本人にすべきである。私としては、一度理解を示すような優しい態度を取っておいて、裏切られたことに一番傷ついた。幸いこれ以降このような偽善者とは出会っていない。

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出会い系との出会い。

2016-09-04 21:57:05 | 発症から現在にいたる...
 2013年夏、重篤な鬱症状に加え夏風邪まで引いてしまった私は、ベッドで暇を持て余していた。平日の昼間に相手をしてくれる人などおらず、ただSNSを徘徊していた時である。ふとFace Bookの広告に目が留まった。アプリを使って気軽に国際交流しよう!みたいな謳い文句だったと思う。寝てばっかりで寂しいし、せめて英語力アップぐらいしようかくらいの軽い気持ちで即ダウンロードした。これが、めくるめく出会い系の世界への最初の一歩だった。

 そのアプリはmixiとFace Bookの間みたいなもので、自分の写真を投稿してそれにコメントやいいねが付けれたり、気になる人にメッセージが送れたりするものである。出会い系には色々は種類があるのだが、このアプリは比較的外国人が多く、いわゆるヤリモクの人もいれば、ただSNS感覚で使っている人まで様々であった。失恋で心に大きな傷を負っていたことに加え、抗鬱剤の影響で躁気味(今になってはそうだったと思う)になっていた私は、それまで一人だった経験人数をうなぎ上りに伸ばした。いわゆる性的逸脱というやつである。その出会い系でであった彼氏がいた時期もあったが、常にとっかえひっかえ浮気をしている状態であった。しかも相手は決まって外国人だった。彼らが日本人よりも、フランクな関係について理解があったせいかもしれない。またはただ私が白人至上主義者であった(だから?)かもしれない。ともかく国内にいながら世界一周したんですか?とでもいえるくらいにまで私の経験は広がっていった。

 最初は、オーストラリア人の弁護士かなにかだったと思う。9月に復帰予定だった研究室にも行かず、家にも帰らず、ホテルで数日過ごした。今思うと恐ろしい話である。この人とは最後まではいかなかったが(相手が拒んだ)。次に、スペイン人かスウェーデン人だったと思う。その次がアメリカ人か。本当にめちゃくちゃな話だが、その冬の記憶がほとんどなく思い出せないのである。しかも出会ったその日にベッドインするのが常だった。もう誰でもいいから私を必要としてくれている、ということを肌で感じたかった。愛情に飢え、自暴自棄になっていた私にはセックスという手段しか思い浮かばなかったのである。一瞬でいいから必要とされている、満たされている感覚を味わいたい、という一心だった。私のこの性的逸脱は、実は今年の春まで続く。

 性的逸脱に加え、私は大学の同期の影響もあり、喫煙も覚えていた。セックス依存とニコチン依存。なんともお似合いである。しかし私は何とかその間のループから抜け出すことに成功した。禁煙もこの1月から行っている。はっきり言っておきたいのが、どちらも本気でやめたかったらやめられるということである。しかし、やめ続けなければならない。欲求はだんだんと小さくなり、今はうっすらと残る程度であるが、私の記憶にこびりついている。しかしながら、これからもわたしはやめ続けるつもりである。

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