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自分の中の観照者。

2011-09-18 11:03:16 | ヨガyoga



夏休みの旅行記を書こうと思いつつ、いつも違う話題になっちゃう。


堅苦しい題名ですが、ヨガで言う「観照者」について。

まず辞書で、「観照」とは…

[名](スル)

1 主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知ること。



あるがままを観る。好き嫌い、良い悪いのジャッジメントなしに、ただ、観る。

生きている中での現象(体・心・物事・感情)を経験している自分を、ただ眺めているだけの自分が、存在すること。

今まで、「生きている中での現象(体・心・物事・感情)を経験している自分」が、自分と思っていたのに、それらの自分を観照している自分に気づく。

なにものにも左右されることのない、本来の自分自身の存在を感じる。

般若心経でいう「空」の状態。


でも、この観照者の考え方はいろいろで、ここでは、インド哲学の中のサーンキャ哲学の二元論に基づいて記述しますが…。
西洋哲学の二元論とは、ちと、違います。


この考えで行くと、この世に存在するものはすべて、

「観照者」=プルシャ 
「生きている中での現象(体・心・物事・感情)を経験している自分」=プラクリィティ

と、二つに分けます。

「観照者」であるプルシャは、動がありません。自ら何も行動せず、ただ見ているだけ。考えたり感情や理性もない。苦も楽も死も輪廻もない。
いわゆる悟りを開いて、この状態になると言った感じかな?
悟りを開いてプルシャ(真我)になる。プルシャが悟りを開くわけじゃないの。

「生きている中での現象(体・心・物事・感情)を経験している自分」であるプラクリィティは、私たちの身の回りにあるものすべて。建物、家具、山、海、木などの自然、感情、意識、感覚…すべて。
プルシャと違い、とても動的で、変容していきます。

このプラクリティで起きる様々な現象を3つのグナ(サットヴァ・ラジャス・タマス)で考えますが、ここから記述するとすごく長くなるから、これらは次回。

簡単に言えば、

<プラクリティ>
私が「夏休みの旅行記を書かなくちゃ」と、考え、写真をPCに送り準備して、PCに向かい、何だかやる気がなくて、結局、最近良く考えるプルシャとプラクリティの記事を書いている…

<プルシャ>
そんな私のあーだこーだっていう、行動、出来事、結果、感情、意識…って言うストーリーを、映画のスクリーンでただただ見ている自分。見ているけど、そんな私のプラクリティに「ち、ダメなやつ」とか、「いっつも、ばったばただな」とか、そんな感情を持たず、ただただ見てるだけ。


そんな感じ。

ただ眺めているだけのプルシャなんて、いらないんじゃないの?って、思ってた。

けど、観照している人がいるから、私は私で居られる気がします。
最近は、そんな真我の自分が「あ、いるのかな」って、ようやく感じられるようになってきた。

綺麗な満月を見て、「キレイ」と感傷にふける自分を見ている自分がいる。

観照者であるプルシャになれた人、いわゆる解脱、悟り、空の状態になった人ばかりがこの世にあふれたら、この世は滅亡しちゃう。
動的ではないから、子孫も増えないし、ものも作り出さないし、形ある物も、ないものも、消えても無くなっても、プルシャだけ、プルシャのまま存在するから。


でも、この話は、本当に難しい。
だから、上記は私なりの、解釈ね♪


私の人生、この世の物語をただただ見ている人がいる。それだけで、何だか悪いこと、出来ない気がする。

難しく考えないで、それだけでいいんじゃないかって思います☆



この二元論のほかに「特別な魂」としてイーシュヴァラって存在も認めてる。すると三元論になったり…。ややこしい(笑)

ああ、もっと勉強したいな♪

「この秋、学びの秋にしようと思う」
と、宣言しながら、コーヒー飲んでスコーン食べてる私は、食欲の秋も満喫予定…(笑)


皆様、良い連休を♪私は学びに出かけます♪

namaste.



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