主婦&薬剤師ゆうこの ワガママにっき

主婦&薬剤師のふたつの顔を持つ
変なおばちゃんの日常を気の向くままに綴ります。 

誠実に生きるのは難しい

2024年07月10日 03時41分06秒 | できごと
久しぶりの投稿です。

あれから娘のグループホームのことやらなんやらかんやらでゴタゴタしていて、

6月は風邪からの咳喘息→喘息と夜な夜な苦しい思いをしていました。

咳をし過ぎてのどをやられ、
逆流性食道炎でのどをやられ、

ハスキーボイス。

6月に地域の小学校の運動会にお祝儀を届けるというお仕事があり、

大嫌いな学校。
大嫌いな運動会。
しかも誰一人知り合いなく…。

「お祝儀渡したら帰ろう。」と、思っていたんだけど、

なりゆきでしばらく運動会をみることになり、

多大なるストレスでその晩は喘息発作に襲われて…。

学校大嫌いやねん。
運動会大嫌いやねん。

「楽しい遠足」とか、「楽しい運動会」とか言うけれど、

運動が苦手で、
友達作りが苦手。
引っ込み思案というよりも、どんくさい自分が一緒にいたらみんな楽しくないだろうなーなんて思ってしまう。

母は完璧主義者で、物心ついたときから母が決めた基準をクリアできるのが当然と思ってて…。

100点満点をとっても褒められることはなく、逆に100点満点じゃないと努力が足りないと。

いつしか自分の「基準」は母が決めた「基準」となってしまった。

母を喜ばせたくて母の決めた高校に進学し、母が決めた薬学部で大学生活を送り、母が望む「薬剤師」として様々な現場で働いてきた。

でも、

家庭を持ち、子を育てるために必要なことは学歴でも実力でもなく、

美味しいごはんを作れることと家族を愛すること。

が、しかし、

夫婦でも親子でも相性がよいとは限らない。ましてや他人同士がわかり合えるなんて不可能なのではないだろうか?

旦那君は唯我独尊のB型。

時々忘れるけど、子供たちは半分B型の血が入ってるわけで…。

我が家に「ルール」を持ち込んだところで「ルール」を守るという概念自体がない。

世の中には様々な「ルール」が存在する。母は「ルール」で私を縛ることが好きだったけど、

「ルールを守ろう」という標語やポスターが街中にあふれてる。

明治、大正、昭和どころか平成になり令和になりすでに6年目。
子供たちも職場の若者も平成生まれ。新人ちゃんはZ世代の次の世代。

世の中には未だに「昭和」というか「軍国主義」が根強く残ってる。

たとえば、

力でねじ伏せてみたり、
くだらない基準で人を見下してみたり。

女はどんなに頑張っても認められることはごくわずかだ。
薬剤師になっても認定薬剤師の資格を得ても、男性薬剤師のほうがウケがいい。

クラスの担任が男の先生だと親は喜ぶが、女の先生だとガッカリするのと似てる。

女性薬剤師が長い間頑張ってると「生涯独身を貫くの?」とか「お局(つぼね)」として煙たがられたり。

しかも4年制から6年制に移行したせいで学んだ内容も大きく異なり、業務内容も激変してしまった。昔は「調剤」がお仕事で医師が書いた処方箋通りに調剤すれば良かったのに、

今では医師と肩を並べて医療スタッフとして活躍することを求められている。6年制卒は大学院修士卒扱い。薬剤師免許、認定薬剤師の資格を持つことは当然で、その他に専門薬剤師の資格を持つ人もたくさんいる。

世の中がどんどん変化してるのにいつまでもくだらないことを気にしていてはもったいない。

でも、

嫌な事ばかり起きる。

「生きるってそんなもんだよ。
それを乗り越えながら強くなっていくんだ。」と先生は言うけれど、

ちょ、待てよ。(←キムタク風に)
パワハラまがいの行為が横行しビクビクしながら働くとか変じゃね?

「バカヤロウだぜ。」
帰りの車の中で口に出して言ってみた。

涙があふれてきた。

「デキる」がデフォと言われてもねえ。

人間の能力って人それぞれ違うし、早ければいいとは限らない。

その昔大学病院の薬局長からいわれた言葉の意味が今さらのようにわかるなんて皮肉なものだ。

「仕事がデキる人は和を乱す。他の人をみて自分と同じものを求めたがると思う。あなたはここではなくもっと活躍できるところを探しなさい。」と。

大学病院で働きたくて頑張ってきたつもりだったのに、一緒に研修していた人たちはほとんど採用されたのにふたりだけ弾かれた。

あれから40年。
自分が逆の立場になってみて身をもって知るデキる人の恐ろしさってか。

ブレイン君とかブレインさんとか薬剤師って怖い。

「君って珍しいよね。薬剤師なのに偉そうにしないね。」とお客様から言われた。

地域の健康ステーション的役割を果たすには気軽に立ち寄れて気軽に相談できないとね。

薬歴ってさ、薬のカルテでひとりひとりの大切な情報を整理して相談があったときに役立てるためのものだと思うんだけどな。

若い頃は毎日辞めたいとばかり思っていたけど、仕事は精一杯頑張ってきたつもりだ。

病院での経験などなど今とても役にたってる。

子育ても介護も悪戦苦闘したからこそ相談に乗れたりもする。

悪いことばかりではなかったのかな。
当たり前の生活とはほど遠かったけど、自分なりの人生は波乱万丈だからこそ今さらのように様々な人とのふれあいに恵まれたり。

今週は母の一周忌。
最期はあっけなく旅立ちましたが、私の心の中には未だに重石のように棲みついています。

基準とか考え方とか感じ方とか自分なりのものを模索しているけれど、

染み付いたものはなかなか抜けそうにない。

旦那君と子供たちがアブノーマルで良かったかも。新しい発見いっぱい。

「基準」からはずれたから、と変な目で見るのっておかしいよね。

堂々と生きていけばいいのに、背を丸めて縮こまって息をひそめてドキドキしながら生きることになってる。

自分の中に偏見とか間違えた価値観がまだまだ渦巻いてるようだ。
自信がない…。
仕事もテニスも。

他人から言われたことを真っ直ぐに受け止めてしまう。
いい時もあるけれど、

心が悲鳴を上げる。

それでも何事もなかったように暮らさねば、と頑張った結果、

ドツボりました。

嫌な事は断る。それだけの事ができません。

結局、エエかっこしいなのかもね。

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