主婦&薬剤師ゆうこの ワガママにっき

主婦&薬剤師のふたつの顔を持つ
変なおばちゃんの日常を気の向くままに綴ります。 

やるときはやるっ

2024年07月15日 05時53分50秒 | できごと
母の一周忌が無事終わりまして、

次は初盆の法要です。

仏様を大切にしないといけないということはわかってるんだけど、

生きてる人間も大切なんだけどな。

結婚式は一度で終わるけど、葬式は一度では終わらない。
四十九日、一周忌、三回忌…。
お寺さんへの新年の挨拶、お彼岸が2回、お盆があって…。
宗派によっては月命日ごとにお経をあげてもらうとか。

昭和、平成、令和と時代はどんどん進んでいくのに、「風習」って根強く残っていてそれが原因でいさかいが起きたりする。

「親戚」とか「知人」とか「友人」とかお付き合いを大切にしなさいと教えられてきたけれど、

誰かが亡くなり、お通夜や葬式に招かれた客はなぜか故人を弔う前に葬儀場や日程や料理に文句をたれる。

もちろんフツーの人々は参列して故人を送るのだが、

親戚もご近所さんもめんどくさい。

彼らには共通点がある。

ご近所さんは会社の分譲住宅なので社宅みたいな変なしきたりがあり、しかもそれなりの役職だった方々。

親戚はそれなりのお仕事についていてそれなりに活躍してきた人々。

が、しかし、

役職とか豪華(?)な家って人を変えてしまう。
みんながみんなそうなるわけではないけれど、高級マンションや高台に住むといつしか人を見下すようになり、特権階級気取りで振る舞っていたりする。

薬剤師みたいに「師」がつく職業に就き、先生先生と崇め奉られるとまるで特権階級かのように振る舞っていることに本人は気がつかない。

フツーの人もいるけれど、

ほら、学校の先生とか薬剤師さんとか上から目線の人多いでしょ?

で、話は戻り、

親戚の「基準」てへんちくりんで「優等生」を求めるわけ。だから大学に行かなかったいとこは「ダメ人間」で、その子を育てた親は肩身が狭い思いをしてた。

うちの母は娘を薬剤師にしたことを誇りに思っていて鼻高々に親戚じゅうに語りまくり、

どう考えてもやな感じだよね。

薬剤師になってみてどうだったのか?

大学は念願の白衣が着られて(←鉄腕アトムのお茶の水博士に憧れていた)、大好きな化学実験がいっぱいできて(←昔は薬を化学的にとらえるのが薬学部の教育方針だった。)、1年間親元はなれて富士吉田で寮生活を満喫できて、友達ができて、テニスができて楽しかったけど、生物学とか生理学とか「生」の字がつくのは苦手で物理は苦戦を強いられた。語学はお嬢様が多かったから外国で暮らしていた人とかもいて語学堪能な人々のおかげで助かった。

昔は薬学部に入るのは薬屋さんの後継ぎとか医者の娘が嫁入り道具として薬剤師免許取得するためとかで、凡人はほとんどいなかった。うちは母が看護師で娘を薬剤師にしたかったわけだし。

ゆうこ自身は理学部に行ってね、中学の理科の先生になってね、生徒と青春しようとか思っていたわけ。

でも、

先生にならなくて良かったよね。熱血過ぎて父兄とケンカしたかもしれないから。

父兄?
昔はね、PTAって父兄会って呼ばれてたの。
ほとんどの家庭は母親がその役割を担うのに、父兄会って変でしょ?男尊女卑の名残そのものだなー。

ところでPTAって
parent-teacher association
の略なんだ。
家庭(父母)と学校が協力しあって教育効果をあげるための組織。
でも、なぜか母親の仕事で、PTA役員てPTA会長以外は男性は珍しい。幼稚園とかだとPTA会長も女性だったりする。

娘が幼稚園に通っていたときPTA 会長やってました。バザー委員長も兼任で。

前の年までPTA会長とバザー委員長が必ずもめるので、両方やってくれないかと頼まれまして。

あ、実力があるとかじゃなくて、

「正義感」ていうか、ゆゆしき事態をどげんかせんといかんと思ったというか、

娘の幼稚園生活を平穏無事にしたかった、

でも、

まさかの担任の先生の大怪我ですったもんた。
役員同士もめてすったもんた。

いろいろあったけど、

園長先生に大切なことをたくさん教えていただきました。

私立幼稚園でバザーがあるのはわかるんだけど、

なぜ毎年毎年、前の年の売り上げを越えなければならないのかとか、なぜ売れ残りのものを役員が買い取らなければならないのかとか、

一番の疑問はなぜ役員がしゃかりきに手作り品を作らなければならないのかってこと。
こどもを延長保育に預けてバザーごときに熱中するなんてナンセンスだなー、と思いながら…。

やるときはやる。
大盛況だった。

が、しかし、
人間て怖いなーと。
いろいろありまして。

小学校は公立でしたが、なぜかバザーがありまして、

「ゆうこさん仕事してないわよね。」と、バザー委員長に抜擢され、

その年は父が悪性リンパ腫になり、秋には千葉に引っ越すと言っていたのに、なぜそうなった?

はめられた感満載。
しっかり断らない自分が悪いんだけど、

やるときはやる。

でも、今考えてみると、なぜにお金ももらえないのにあんなにも頑張ったのだ?

やっぱやるからには楽しんで欲しいじゃん。エンターティナーの血が騒いじゃったのかなあ。

企画、立案、運営ととても大変だったけど、

人間て怖いな、と何度も思ったけど、

協力してくれる人もたくさんいて、みんなで楽しいバザーを開催することができ、

収益金の使い道を決める前に引っ越しました。
 
で、私をはめた奴がちゃっかりバザー委員長代理になり、収益金の使い道を決めたと風の噂で聞きまして、

収益金で買ったものは臼(うす)と杵(きね)。

は?

たしかに生活科でもち米を育てるけど、

臼と杵って今まで通りレンタルでいいじゃん。無料で貸してくれる人もいるわけだし。

引っ越しでPTAのすったもんたからは解放されたんだけど、

そこから先はまるでアリ地獄のアリのように奈落の底へと突き落とされ…。

父死して町内会長というものの理不尽さを知り、

母死して解放されるどころか影響力がデカ過ぎて相変わらず様々なことにビクビクしながら暮らしてる。

「後取りはおかんしかおらんのやから好きにすりゃええんやない?おやじは自由人やけあれこれ言わんし。親戚なんて接点持たなどうってことないし、世代交代してたりとか介護でどつぼってて自分のことで精一杯なんやから人んちの一周忌に呼ばれなかったからって文句は言わへんて。」と息子。

葬式も誰も呼ばなかったけど、一周忌も誰も呼びませんでした。

ご近所さんには亡くなったことすら知らせていません。
知らせたら「次は私ね。」と気落ちする人もいるし。

令和なんだから仏事のスタイルが変化してもよいのでは?

ほら、今の時代、生きるの自体が大変じゃないですか。

いつまでも昭和の概念を振りかざしたりするから煙たがられるのに…。

お札だって変わったんだもん。
多様化の時代、みんな違ってみんないい。

好きなもの、好きなこと、人それぞれでいいと思う。

誰に何を言われても気にしなければいいんだけど、

いちいち真に受けてしまうから直球がまるで鉛のようにドスンと心に食い込む。

そんな娘の気持ちを母は知る由もなく満面に笑みをたたえてあの世に旅立ち、仏様になりました。

成仏してもらわないと。

やるときはやらないとね。






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