電子レンジが普及し、温かいごはんが食べられるのがあたりまえとなったけど、
大学時代にほか弁(←ほかほか亭?)ができて温かくてリーズナブルなお弁当に
感動した❗(←小泉純一郎風に)
学食もあったんだけど、
めちゃめちゃ混んでいたし、あまり美味しくはなかった。
噂によると病院の食事の業者さんで、栄養計算を優先していたのではないかと。ほら、学校給食で塩分何g、糖分何gと栄養士の指示が優先で、調理師のアレンジはタブーなのと同じ?
こどもの頃風邪をこじらせて飲んだ抗生物質が原因で、腎盂腎炎になった。
保育園入園直前の出来事で、母としてはゆゆしき事態。
実は母はそこの病院で看護師として勤務することになっていたらしく…。
当時はまだ薬害とか副作用とかの概念はなく、抗生物質が原因でネフローゼで命を落としたこどももいたりした。
その後の研究によると腎臓排泄型の薬剤は腎機能が低下したときは減量が必要で、抗生物質は特に要注意だということを学んだ。
昭和40年頃の医学はまだまだ発展途上で、腎機能が低下したらタンパク尿が出る=タンパク制限。
塩分も糖分も厳しく制限されて味のない食事だったことを今でも覚えている。
たまにもらえる1粒のグリコが楽しみで、早く元気になって普通のごはんが食べたいなー、と思ってた。
当時は質素な朝ごはんで、ごはんに味噌汁にめざしとか。
たまごもバナナも高級品で風邪を引いて熱を出さないと食べられないとかが普通だった。
ゆうこは日本人なのに白飯が苦手で、特に冷たいごはんがダメだった。
が、しかし、電子レンジとかあるはずもなく、
保育園ではアルミの弁当箱をストーブにのせて温めたり、家では炊き上がったごはんの上に冷たいごはんを乗せてあたためたりしていた。
お風呂が家にはなくて、「銭湯」と呼ばれる大衆浴場を利用していたっけ。
力道山が活躍していた時代で、テレビがあるラーメン屋さんは大盛況。
石鹸とかシャンプーとかリンスとかなくて、垢擦りとか謎の粉とか。
トイレも汲み取りで吸い込まれそうで怖かった。
従姉妹の家は外にトイレがあってめちゃくちゃ恐ろしかった。
「それくらいでビビっていてら世の中渡れませんよ。」
母はトイレについてきてくれるどころかお説教。
従姉妹がついてきてくれて、
「ゆごちゃーん、ここにいるからねー。」と。東北弁だとゆうこちゃんは「ゆごちゃん」になるみたい。
ふたつ年下の従姉妹。
お互いひとりっこ。
何だかんだで今でも仲良しだ。
たまにしかあえないけれど、
久しぶりでもまるでブランクなどなかったかのように話が弾む。
東日本大震災をはじめ様々な苦難に襲われたけど、お互いとりあえず生きてる。
大学生の頃、一年間は全寮制で食べることには困らなかったけど、2年生以降は授業や実習やテストに追われ、ほか弁の出現はとてもありがたかった。
サラリーマンの娘なので「のり弁」でさえ贅沢品で、週に1度のお楽しみだったりした。
1回だけ自分へのご褒美でかつ丼弁当を買ったんだけど、めちゃくちゃ感動してしみじみ美味しいと思った。
高級フレンチよりもB級グルメが好き。
やきそばとかお好み焼きとかたこ焼き等々。
当時の薬学部は医者とかお金持ちのお嬢様が行くところで、婚約者が決まっていたり、医学部もあったので婿探しをしたりなどなど、「結婚」とか「跡継ぎ」とか。
本物のお嬢様もたくさんいて、
悪い虫がつかないようにずっと女子校だった人も珍しくはなく…。
大学受験の頃にカップ麺全盛期で、赤いきつねとかUFO
とかを箱買いしてみたり。
大学の寮でUFOがちょっとしたブームになり…。
容器が今みたいな親切設計にはなってないからお湯を捨てるときに麺がこぼれて…。
寮の水道は果てしなく長く、何人も歯磨きできるようになっていたから、
流れ行く麺。
歯磨きしていたら麺に驚く別の人。
今じゃ笑い話だけど、
深刻な問題に発展したりもした。
なぜ全寮制か。
医療従事者として働くためにはわがままを抑える我慢とか、他人への思いやりとか、協調性などを身につけるというコンセプトとのこと。
今じゃ医歯薬看だけではなく、医療系総合大学としてテレビCMしちゃってる。
昭和大学憲章として医療人の心得を唱っているけれど、
薬剤師って医療従事者としてふさわしい仕事ができているのだろうか。
服薬指導という言葉自体がすでに上から目線だなー、と日々思いながら、真の意味のかかりつけとは?と疑問だらけの毎日です。
今でもほっともっとの大ファンで、期間限定のものも注文するけれど、
やっぱ「のり弁」でしょ。
全部のせのり弁も食べてみたけれど、
ちくわの天ぷらと魚のフライと海苔とごはんのハーモニーが抜群。
すき家とか松屋とかもいいけれど、
「ほっともっと」大好きです。
王将も時々ムラムラと行きたくなりますが、
マクドナルドやロッテリアやモスバーガーやミスドもいいけれど、
ほっともっとには「おふくろの味」がある気がする。
手作りが一番と言うけれど、
献立を考えるのも作るのも大変なんだよね。
たかがごはん、されどごはん。
手抜きに罪悪感を感じながらも「買いめし」。
仕事して家事をして…。
2本の手ではできることは限られてる。
お弁当やスーパーやコンビニのお惣菜なとなど活用するもしないも個人の自由。
他人がとやかく言う問題ではないけれど、
資源ごみのプラゴミを見て説教じみたことを言うご近所さん。
「昭和」→「平成」→「令和」と時代は流れたのだから、「昭和」を振りかざすのはやめた方がいいのにね。
薬剤師さんも、ね。
これからは地域の一員として気軽に声をかけられるアドバイザー的存在にならないと。
「白衣」は作業着であって、特権階級の証ではないのだから。
「資格」とか「住居」とかで他人を見下すっておかしくない?
日本の教育って変。
美味しいものって人それぞれ異なるし、嫌いなものは好きにはなれない。
学校の先生って好き嫌いなく何でも食べて、何でもできて、メンタルも強いからうらやましい。
苦手なこととか出来ないこととか食べられないものがあるから、
人間らしいのでは?
白飯が苦手なので米飯給食の時代じゃなくてよかったです。
好き嫌いすると大きくなれないわよ、と母は言ったけど、
身長も体重も充分デカイです。
食べる量も人それぞれ。
消化機能も胃のキャパシティも千差万別。
歳を取ると消化機能が衰え、胃のキャパシティも小さくなるから、
若い頃のようにいっぱい食べたり調子に乗ってお酒をガバガバ飲んだりできなくなりました。
来年で65歳。
まだまだ、なのか、
もう、なのか。
仕事のピリオドをどこで打つかずっと迷っていたけれど、
ピリオドって自動的にある日突然打たれるものなのかもしれませんね。
専業主婦だった頃は自分がまた白衣を着るなんて思わなかったけど、
ピリオドが近づいてみて初めて薬剤師の仕事が面白く感じる。
1日増やせば「かかりつけ薬剤師」になれるけど、
残りの人生は別のことにも使いたいなんて欲張りなことも考えてる。
子育てが終わり、親の介護も一段落し、やれやれと思った頃に自分が倒れないように気を付けないと。
が、しかし、
きっと来る~♪きっと来る~♪
できれば家族を見送ってからこの世を去りたい。
介護される側よりも介護する側でいたい。
でも旅立つ順番は神のみぞ知る世界。
悔いのないように、と心がけているけれど、
たぶん悔いだらけで終わるんだろうな。
ま、終わっちゃえばもう悔いることもできないから、いいか。
やりたくないことを断る術を身につけないと、つまらないことで命を落としそうだ。
ストレスほど怖いものはない。
咳、出ませんように。
「のり弁」のことでも考えよう。
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