
たかが同窓会。されど同窓会。
自分が描いたシナリオでは還暦を迎える頃には子供たちも自立していて、孫ができて、縁側で日向ぼっこをしたり手作りを楽しんだりしている予定だった。
薬剤師としても無事定年を迎えて、職場の皆さんからいただいた花束と寄せ書きに涙するはずだったんだけど、
予定は未定。
大好きだった父は早々とこの世を去り、苦手だった母はつい最近までピンピンしていた。
還暦過ぎても母親が健在だなんて予想ガイてすね。
子育て。
いじめとか教師のパワハラとか。
挙げ句の果てに統合失調症。
介護も地獄。
子育ても地獄。
仕事も地獄。
旦那君はマイペースなB型。
腹立たしいほど全てがまるで「他人事」のように話を聞いてない時がほとんどでなんなんやか、と思ったりもしたが、
仕事が忙し過ぎるのと自分の親の介護等々。貴重な休みも九州へ。
ずっと孤独。そんな気がしていたっけ。
子供たちのために学校と何度も闘った。
ブレイン君からの攻撃に耐えながら頑張った。
母のために自分の時間を費やし、暴言を吐かれ、
それでも耐えるのが当たり前だと思っていた。
食べることでストレスを発散した結果、激太り。気付けば巨体のゆうこさん。
バカみたい。
頼りにされることが嬉しいなんてカッコつけたりするから、余計な仕事も次々と。PTAとか町内会とか民生委員とか。
「ゆうこさんてどんなことでも何とかしてくれそうな感じがする。」と言われるけれど、
それは無理。神様ではないし魔法使いでもない。凡人というよりむしろ鬼。そう、鬼嫁。
面倒なことを他人にお願いするのは簡単だけど、お願いされる方はとっても大変なんだ。
どげんかせんといかんと頑張ってみたものの、どうにもならないことってあるんだけど、
何でだろうね。
どうにもならないことに責任を感じて謝ってる。
どうにもならないことに自分の無力さを感じて落ち込んでる。
今更なんだけど、
PTAとか町内会とか民生委員とかやらない人の方が多いんだよね。
親の介護もやらずに済む人も結構いたりする。
他人事で済めばどんなにいいことか。
何事も描いたイメージ通りになればよいけれど、
人と人の関わりは複雑怪奇。
パソコンとかプリンターとかハイテク機器でさえ順調に動くとは限らない。
若い頃は頭の回転も身体の動きもスムーズだったけど、まるで部品が錆びついた機械ようにポンコツな頭とポンコツな身体にイライラする。
年老いたら夫婦はお互いをいたわりあいながら生きていくのがよいと言われてるけど、
「高砂」という人形のように互いに労りあって支え合いながら暮らすことがどれだけ難しいことなのかをしみじみと感じる日々。
お世話をする人の大変さはお世話をしてもらう人にはわかってもらえないことが多くて、一生懸命お世話をするのに文句を言われること多々あり。
車での送迎。
送ってもらう人は楽ちんだけど、送る方は時間を調整しないといけないわけで。
迎えの時はなおさら。いつ帰るのかわからない人を待つのって落ち着かないし何も手につかなくなるし結局寝る時間が遅くなる。
「ただいま~っ。」
仕事から帰ってそのまま布団に直行して眠れたらサイコーなんだけど、
主婦にはいろいろとやらねばならぬことがたくさんあるからそうはいかない。
疲れた老体に自ら鞭を打ち頑張るしかない。
そうやってがむしゃらにくぐり抜けてきた人生だったけど、
疲れた。なんだかとても疲れた。
が、しかし、
こどもたちのためにもまだまだ元気でいたい。
自分の事を頼りにしてくれるお客様のためにも元気でいたい。
でも、
あとどれくらい生きられるのかとか、あとどれくらい働けるのかとかは神のみぞ知る世界。
まだまだ大丈夫かもしれないし、
明日がないかもしれないし。
棺桶に片足を突っ込んだ状態ってやつ?
でも、
年齢に関係なく明日って突然なくなることもある。
事故とか事件とか。
ならば「毎日を大切に生きよう❗」と思ってみたりもするけれど、
心ない発言に翻弄されてしまう。
「聞かなエエやんかァっ❗」
と、旦那君は言うけれど、
「人の話は人の目をみてきちんと聞かないとダメですよ。」と言われ続けてきたから、
流せない。
流せばいいのに流せない。
流せないことを読まれてさらに言われる始末。
逆らえないことを読まれてしまってる。
母親に絶対服従するしかなかったから「イヤ」とか「ヤダ」とか「ムリ」は我が辞書には存在しない。
友達も学校も進路も仕事も母親の思い通り。物心ついたときから親の面倒をみるのは子の努め、と。
ひとりっ子じゃなければなあ、と思ったけど、
どうやら兄弟姉妹がいたとしても介護の負担は偏るらしい。
長生きは必ずしも幸せではない。
90年生きるのが当たり前になるから、介護する側も高齢者。
介護施設も介護職員も足りなくて「在宅介護」が当たり前に。
誰かが仕事や自分の生活や時間を犠牲にして頑張るしかない過酷な現実。
「ヤングケアラー」問題がクローズアップされているけど、年齢関係なく深刻な問題なんだよね。
ある日突然親が倒れて、事態は急転。それは誰にでも起こり得ることなんだけど、
そんなこと知る由もない。
怒涛の人生を歩んできて、自慢できることなど何もない。
むしろ何も聞かないで欲しい。
子育ても介護も満点にはほど遠いし、仕事だって…。
同窓会の案内状~♪
欠席に◯をつーけたー♪
槇原敬之の「遠く遠く」のワンフレーズ。
行きたくないわけではないけれど、
こどものことを聞かれたり、孫のことを聞かれたりするのすごく嫌。
太っちゃったし、着る服持ってないし。
そうだ。行かなきゃいいんだ。
還暦記念の同窓会がコロナで中止になってとても残念だったけど、リベンジ企画してくれたのに、4年の歳月はあまりにも大きくて、
「体力の限界っ❗」
千代の富士さんの引退会見のように、引き際ってやつ?
こうやってひとつひとつたたんでいくんだろうな。
普通の人生、送ってみたかったな。
初めてコメントしますが、hiraku2014といいます。
長い文章でしたね。同窓会はどうなったの、、と不安になりましたが、やっと行きたいのに行けないの意味がよくわかりました。
人の人生は気楽の見えますが、それぞれ見えないところに苦労があるように思います。結局、それが普通の人生ではないでしょうか。苦労ばっかり見ると苦しい人生ですが、いいところもいっぱいあったはずです。
私の人生訓は「自分で決めてきた人生」です。そこの曲がり角をどう曲がるかは、その都度自分で決めてきた。こんな人生が私の人生だと納得して、いいことも残念なことも受け入れての毎日です。
自分の考えばっかりですみません。文章の最後のほうが「私と一緒」というふうに感じられました。
来月に私も大学の同窓会がLineで連絡がありました。同じような理由で「出席できない」をポチッと押しました。
コメントありがとうございました。ジーンと来ました。
同窓会には行けなかったけれど、青春時代の思い出が消えるわけではないですし、古き良き時代は振り返るからいいのかもしれませんね。