柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

きゅうり

2013年08月06日 14時01分01秒 | 日記
食べ放題。うれしい。

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あれが燕( つばくろ) 岳だ!

2013年08月06日 13時59分17秒 | 日記
2763メートル、雲の中なので、見えません。明朝、登ります。

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不眠

2013年08月06日 08時30分17秒 | 日記
ここ「中房温泉」は、20年前の定宿のひとつで、一度にだいたい半年前後、滞在していました。
(他にも、奥鬼怒の「加仁湯」、伊豆河津の「つりばし荘」、熱海沖の「初島クラブ」などに長期滞在していた)
16~30歳まで、わたしはひとところに定住せず、13年前に死んだ東由多加とふたりで、各地の温泉宿で執筆しながら暮らしていたのです。

中房温泉で執筆した作品は、岸田戯曲賞を受賞した「魚の祭」、野間文芸新人賞と泉鏡花賞をW受賞した『フルハウス』などで、毎回書き終えなければ下山してはいけないという規則を課していたので、数ヶ月、長い時は1年近く山籠り(初島の場合は「島流し」)していました。

なんと言っても、一番記憶に残っているのは、処女小説『石に泳ぐ魚』なんですが、ここでは書きません……

というわけで、ご主人の百瀬さんと再会し、15年ぶりにご挨拶をしたんです。

昨夜、百瀬さんは、夜になる前に熱湯を入れたポットと急須を持ってきてくださり、「むかし、お茶がお好きだったから」と仰りました。

東も私も完全な夜型で、毎日徹夜で執筆し、朝ごはんを食べてから眠りに就いていました。執筆しながら、緑茶や紅茶やコーヒーを飲んだり、カップラーメンを食べたりしていたんですね。
その頃のわたしは、今より人見知りが激しく、宿の方にお願い事をしたりするなんて逆立ちしても出来ないという感じだったので、東が宿の方に「夜、お休みになる前に、ポットに熱いお湯を入れてください」とお願いしたのだと思います。
昨夜は、様々なことが思い出され、眠れませんでした。
たとえば、ここは混浴メインの宿で、昔はシャワーが完備されていなかったので、わたしが髪を洗う時は東が岩風呂から盥で温泉を汲み出し、冬場は雪が降って寒かったので、「ちょっと!もっと素早くざばざばかけてくれる?」と叫んだことや……

夜中に大喧嘩をして同室で眠りたくなかったので、露天風呂で文庫本を読みながら夜を明かし、日の出を見たことや……

10時半に消灯したのに、目が冴えて眠れなかった……

明け方4時半に目を覚ました息子と共同トイレに行き、その後うつらうつらしましたが、二度ばかり自分の罵声で目覚めました。

朝7時に食堂に行く時、息子が呆れ顔で言いました。
「ママ、明日の山小屋は相部屋なんだけど、そんなに寝言がひどくて、どうするの? しかも、すごい怒ってて口汚いんだよ。『バカ野郎! そっちがそのつもりなら、こっちだって告訴してやる!』とか『そんなに死にたいんなら、さっさと死ねよ!』とか、怖いよ。声もデカイし、みんな起きちゃうって……」

明日、いよいよ燕(つばくろ)岳に登ります。

今夜は熟睡できますように……

無事に山頂に辿り着けたとして――、山小屋での寝言が心配だ……

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