令和四年 十一月 三十日
父方の祖母が他界しました
享年 百歳
亡くなる10日ほど前に伯父から祖母がコロナに感染したと連絡があった。
それから連絡が無かったので大丈夫だったかなと思っていたのでしたが……
コロナ感染でしたので亡くなったその日のうちに火葬。
なので通夜は行われず2日後の12月2日に葬儀が行われましたが、最後に顔が見れなかったのは正直悔いが残る……
葬儀のパネルには最後まで面倒を見ていた伯父の言葉が刻まれていた。
「心からの感謝を込めて」
故 祖母 (百歳)
晩年 母が入所していた施設で私も仕事をしていて、当直の日にタイムカードを押したついでに母の顔を見に行くのがお決まりでした。
食欲旺盛なところはいくつになっても変わらなくて、大好物のおはぎの差し入れを楽しみにしていた母から「おはぎ持ってきた?」と声をかけられるのもいつものこと。
十二月二十四日の誕生日が近づいてきた最近は、ケーキがあるのか尋ねられることも増えていました。
何でも美味しそうに食べて笑う姿が記憶に鮮やかなだけに患い思うように食事がとれなくなってからは辛かったはずです。
これから向かう先で待つ家族と再会したら皆と語り合いながら、食べて、飲んで、賑やかに過ごして欲しいと願ってます。
生んでくれたこと、私が妻を亡くしたときも力強く背中を押して励ましてくれたこと、すべてに「ありがとう」と伝え見送ります。
母は、孫、ひ孫の代へと命のたすきを繋ぎ、令和四年 十一月三十日、百歳にて生涯を終えました。
皆様より生前賜りましたご厚情に、深く感謝を申し上げます。
本日はご多用中ご会葬頂き、誠にありがとうございました。
祖母と伯父のやりとりが目に浮かぶ……
本当に最後まで面倒見てきたのだと感じました。
ばあちゃん。
天国にいったらじいちゃんや、ばあちゃんの息子であり僕の父である善ちゃんが待ってるからいっぱい楽しんでください。
合掌