厓のぶどう畑

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心 温羅 浦(3)

2012年01月05日 | 人・社会・原発・放射能
2012年1月5日(木)
晴れ

四日に鬼ノ城(きのじょう)周辺の、
温羅(うら)一族の遺跡を探索した続きです。

岩屋遺跡を下り車で鬼ノ城の復元した、
山門に向かい移動しました。

見晴らしのよい高台から、
南の瀬戸内海を望むと、
狼煙や鏡で連絡が取れる位置に、
海の神を奉る金比羅山が見えるようです。

総社にまで児島湾は、
食い込んでいたそうです。





こちらの尾根筋の道から入り、
幾つかの礎石群をみました。

撮影はしてないのですが礎石の大きさは、
70cm角前後のもので規模は、
最大でも10数M程度の棟です。

発掘が全て終わったのか不明ですが、
この辺りは千年で2Mは黄砂が積もります。




同じ道を引き返し山門に向かう。

中国の沿岸に住む周一族は、
紀元1000年前後にと紀元400年前後に、
大挙して日本の幾つもの集落を襲い上陸し、
30年位して和睦し融和してます。

有史以前は紀元前250年前後に、
日本に上陸進出したと推測できます。

中国の周とはWikiより。
周(しゅう、紀元前1046年頃 - 紀元前256年)は、
中国古代の王朝。殷を倒して王朝を開いた。

周は800年も続いた国でした。

サラセン帝国もスペイン南部まで統治し、
800年間も地中海沿岸を支配していました。

温羅一族や源氏は三浦一族の出自、
この二つは周一族と同一民族ではないかと、
温羅の先進的製鉄技術や航海術から、
僕は仮説を立てて調べています。

周の国を造り維持した民族は万里の長城の、
遠く西から来た民族だったそうです。

三浦一族は矢ぐら形式のお墓の遺跡を残し、
頭蓋骨から顔を復元したところ、
長顔で頬骨のない白人系の人相だったのです。

モンゴロイドではなかったのは驚きでした。

この復元山門は朝鮮風のディティールで、
何故か造られているそうです。





入口の内側から。





入口の外側から。





帰り道の傍らに鉄骨構造に、
木張りの橋があります。





橋を渡り山門を撮影。





橋の展望台の近くにも岩。

温羅の岩屋遺跡の駐車場付近の道で、
採取した緑の綺麗な苔。

お菓子ようにふんわりした苔なので、
キッチンペーパーに乗せて散水。





牡丹や百日紅の鉢植えにでも、
持ち帰り敷き込みましょうか。





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