私の手紙
2018-03-05 | 日記
大学時代、四年間寮生活をした。
現在は三鷹と鎌倉の間は二時間近くかかるのに
通学しなければいけない距離になっている。
昔は鎌倉は遠いと思われていて初めから寮生活を
することができた。
1年から3年までは4人部屋。
4年生になると「姥捨山」と言われ2人部屋の
特別な寮に移った。
どちらも楽しい楽しい大学生活であった。
「通える範囲」とのちにみなされた鎌倉には
時々帰った。だが、教会で、日曜学校の教師を
していたので、日曜日も大学の寮に留まって
いた。
ついでに言えば、日曜日の午後はデイトの約束が
ないと惨めで悲しいものだった。
大学の食堂が休業だったからデイトでキャンパスを出て食事に行くのだ。
携帯も無かったから唯一の連絡は寮のインフォメ
〜ションの電話だった。身体中を耳にして
電話の呼び出しを待ったものだった。
私は両親によく手紙を書いていた。
それを母は全部取っておいてくれたのだ。
結婚する時持たされたとはすっかり忘れ、50年
以上経って発見した。
まあ、礼儀正しく、寮生活の事、レポートが大
変、試験、バイトが大変と細かい字でかいてあ
る。お習字の先生に宛てて書くので、毎回、緊張
して丁寧に書いた。今より上手に書けている。
こんなもの、誰にも面白くない。まあ、一応
目を通して捨てようと思う。
ハガキ五円、封書十円であった。