年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

誰にでも笑顔がある

2018-01-30 00:00:00 | Weblog
 
 今日の面接者は3人とも近々出所を予定されている受刑者である。それぞれ刑期にして4年~1年ついている。住居侵入であったり窃盗であったり振り込め詐欺の罪名がついている。うち一人の来週に仮釈放が予定されているAとは私との面接も4回目を迎える。この4回の面接を重ねるごとにAの表情が変わっているのに気がついた。最初の1~2回目は表情が硬かったものの今日4回目ともなると釈放後の道筋もあらかた本人も熟知するほどに頭に入っているんだろう。余裕の表情を見せてくれる。それ以上に今日のAは目元が柔らかい・・「おいどうしたのか、今日はやけにニヤニヤしてるじゃないか」《ハイ来週にはここを出ますので、うれしくてうれしくて・・》と涙を流さんばかりの笑い顔である。「ここを出て一番最初にやりたいことは何か」《ハイ—コンビニにいってチョコレートを買いたいです。甘いものを食べたいです。それからコーヒーを買って・・》などと目を潤ませるように喋ってくれた。
 私は出所が近い彼らにこのような質問をよくする。たいていの人はタバコを買いたい、だとか、数年食べていない菓子パンを食べたい・・などと云う。彼ら受刑者が出所の日時で知っているのは自分の刑期満了の日だけである。仮釈放の日は2週間位前に突然知らされる。そして釈放前の社会復帰のための寮(もちろん出入り口に鍵がついている)に確保される。ここでは懲役作業もなく管理されてはいるがややのんびりと本を読んだり書きものをしたりしているので表情が柔らかくなっている・・。・と見えるんだろうけど実際のところ、彼らの内側には大きな不安しかない。自分は社会に出て受け入れられるんだろうか、うまくやれるのか、仕事があるのか・・などと不安感は日々膨張する。人によっては・・と云いたいけれど、私が彼らに釈放前の講話を持ち話す時に思うのは、人により・・ではなく出所する人全員が持っているのが不安であると思う。

 だから今日のAはその不安感と、チョコレートを食べる楽しみとが入り混じった釈放前・・と云うことになるんだろう。希望とは何か・・のことを考える。案外小さな喜びを見つけることから始まるのかもしれない。

 BとCは懲役服を着たまま私の前に現れた。自分たちには釈放日を知らされているが本人はわからない。数ヶ月先に決まっている、とはいえ私たちの就職のことで呼び出され連行されるとなるとうすうす釈放が近づいてるなぁ・・と感じているんだろう。出る前までに仕事を決めよう・・と自分たちスタッフが支援をすることが他の受刑者に知れ渡ると過去の事実から釈放マジカであると認識されることとなる。

 「花の咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ」と云ったのは誰だったか。不遇の時にジタバタせずきちんと根を張りたいと思う。自分自身二十歳過ぎの時代、何を思っていたのか・・・根無し草のように漂流するものではなく、根を張る時と場所が欲しいと切に願ったことがある。それからの年月・・現在・・根を張っているんだろうかと自問してる。が、答えが返ってこない。確かに家族を作りまた子がその家族をそれぞれ作っている連鎖はあるとしても。

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