年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

どうしようかと迷う

2011-02-15 00:00:00 | Weblog
 雪が降りまた霜が下りる日が続くと鳥達の餌が少なくなるのだろうか、玄関前のモチノキも植えてから30年経った。赤い実をたくさん毎年つけている。ついこの間までたわわになっていた赤い実が何時の間にかキレイになくなっている。ヒヨがいつもピーピー鳴きながらモチノキにとまっていたけれど、今朝出勤時に観察すればアレほどあった実が無くなっていた。
                        
 どうしようか行こうか行くまいか、迷いながら申込みFAXをすることなく放っておいた紙がでてきた。見ると今日が研修会当日である。「高校生のキャリア教育」についての研修会。2部に分かれており、午前から始まり夜の8時まである。取り合えず申し込み修了になっているけれど、5時から始まる2部のほうに出席しようと考えた。申し込み電話を入れるとOKだという。それで職場に2時間の時間休を取り行くことにした。行こうかどうしようかと迷ったのは、講師が知人であればやりにくいだろうと思ったから。知人に電話すると関係なさそうである。だから出席したものの、出席すると、やっぱり参加者は顔見知りの人が多かった。熱心な人が多いのに頭が下がる。内容は高校生相手にどのように職業教育をするか・・・のお話。いま、厚生労働省が力を入れているキャリア教育の中心をなしているのでふんだんに?予算を使い委託事業として民間の業者さんが請け負い全国各地で研修をしている。私はこのような会を参加しながらいつも思うことは、この研修会は何のために誰のためにあるのか・・・という出発点。高校生の職業教育観を醸成するためが表向きであり、実際は我々が生きる生活の糧を得るためにまことしやかにあるのだと考えている。研修会の費用は全て国の予算から、その予算を使うために、つまり業者側が生き残るために研修会があるのだと考える方が、健康的ではないのか・・・キャリア教育が高校生に有効に働くためには、教室の中ではありえないと思っている。むしろ風土とか国民性とか文化とか政治の領域に広げて議論していかないと、高校生に向かってのキャリア教育は聴講側ではなくやるほうの我々側のものになる。17才18歳の若い高校生に伝える技術が、拙いと考えているのは私だけであろうか。