きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

小山卓治「Planting Seeds Tour」江古田

2003年08月09日 | 小山卓治
 ジョニー様を見た後だったので、卓治が(ビジュアル的に)見劣りしちゃうかなあ、など考えておりましたが、もう、まったくそんなことはなく、なんちゅか、えらく男前!ってカンジました。
 なんと言えばいいんでしょう。終始余裕があったというか。卓治自身がすっごく楽しんでいたように見えました。こちらもリラックスして(←馴れ合いとは全然別です!)見てました。「種」をリリースして、なにか吹っ切れたのかな。卓治も客も。「ジオラマ」「第三章」「ダンスを踊ろう」などの合作あるいは提供曲も、ちゃんと卓治がモノにしていた。卓治テイストだった。ん~、なんなんだ、この力は。今まで殆ど感じたことないわ~。そうなのよ。なんか「パワー」を貰った気分。

 そうそう、「ユリエ」の歌詞が「レコード制作基準倫理委員会」(通称「レコ倫」)からクレームがついたそうで。具体的にはどのあたりがダメなんでしょう。家に灯油をぶちまけて火を付けて両親を焼死させたところ?でもさ、このテの話は小説やマンガで山のようにあると思うんだけど。例えば明智抄の「野ばらの国」とか「パンドラ」とか、これに近いと思うんだけど。紙媒体はOKで歌だとダメなの?いや、なにより思うのは、レコ倫が心配するのは、親にしかられて火を付けちゃう子供が出てはいけない、ってコトだと推測するのだけど、卓治の歌を聴く人の中には、その年代の人は殆どいないって。いても卓治の歌を聴くぐらいだから、歌と現実の区別がつかない子はいないと思うな。この子供の親の年代はたくさんいそうだけど。家田○子氏(卓治の表現を真似て一部伏字)をはじめとする学識経験者の先生方はなにを考えているんだろうね。
それだけ卓治の曲が
評価されたってこと?

って、それはありませんな。あ~、この話を含めて、卓治のMCも面白かったな。いつの間にそんな技術を身につけたのだ?

 曲につては。「紫の夜明け」がピアノ・バージョンになっていました。「おまえ」と落ち合うことができたのか、「おまえ」の生き方を認められるようになったのか。ずいぶん穏やかなアレンジでした。「ソウルメイト」が意外に良かった。卓治のソウルメイトへの告白を聞いているようで気恥ずかしく思うことが多いんだけど、今回は「歌」として聞けた。アンコールの「Taim」がカッコ良かったわ。
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