きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「Vフォー・ヴェンデッタ」

2006年05月01日 | 映画
 近未来。第三次世界大戦に勝利した英国は、米国に代わり世界の主導者となっていた。国家を強力にするために「国家忠誠法」などにより、独裁政権を打ち立てたサラー議長。盗聴などで国家に管理されることに慣れた国民の前に現れたのは、道化の仮面を付けた「V(ヴィー)」。「火薬陰謀事件」に擬えて、11月5日に議事堂を爆破する、と、国民に宣言する。彼に命を救われたイヴィーも協力することに。「V」を追う警視は、「V」の過去を探ろうとする。

 爽快アクション、では全くなく、ある意味、後味が悪い映画でした。それを狙っているのでしょうし、流れ的に純粋なハッピーエンドにならない方が良かった!と思いますが。なにがどうとは言えないのですが、最初から最後まで、「重苦しい空気」が満ちあふれています。この「空気」を「映像」で見せています。
 復讐は、そして「圧政への反抗」は、従来の映画であれば、文句なく「正義」でした。それが、この作品の中では、「どんな理屈をつけようと暴力」という側面をちゃんと描いているので、諸手を挙げて賛同できない雰囲気が、なんともいえず、え~と、すごい、と言うのかなあ。なんと言えばイイのだろうか。「100%の正義は存在しえない」ってことが描かれているのかな。「V」は繰り返し、「TVを通じて」国民を扇動する。目に見える真実ではない「TV放送」によって、人はたやすく信念を変える。サラー議長を選出したのも国民の意思であったはず。それが「TV放送」によって、「V」の言ったとおりの行動を取る。こういった「民衆の愚かさ」「TV放送による視聴者への影響」も、描き出したかったんだろうか。TVの前から人が消え、それが議事堂に向かっているとわかった時、怖かった。普通の映画なら、「行くぞ、えい、えい、おおおーーーっ」な、みんなの心が一つになった、って、ものすごく盛り上がる場面だと思う。でも、怖かった。大勢の人が一つの同じ行動を取ってしまう、その波に巻き込まれてしまう、その「絵」が怖かった。
 なので、映画から受ける印象は、「切ない」とか、「ツライ」とか、「悲しみ」とか、負の感情ばかり。でも、それこそが作品の主題なのでは無かろうか。
 もう一個の主題は「真実」。どんな状況でも、「真実」は揺らがない。「真実」はねじ曲げることはできず、人の心の「核」となり、伝播する。一人の女性の「真実」が、結局は世界を変えたのだ。彼女の、逮捕される瞬間の動じない姿に涙が出てきた。

 アクションはほんの少しだけれど、少しだからこそ良かったかも。剣の動きを白い残像(?)で表したのが綺麗だった。

 話は、断片的に進み、最後に一枚の絵になる。ほどよい緊張感で、最後まで集中して見られた。薔薇の使い方が良かったな。


 ナタリー・ポートマンは、前半はあまり魅力がない。後半の髪を剃られてからは良かったけど。強い役でなければ光らないのかな。「V」はヒューゴ・ウィーヴィング。台詞回しがいいな。
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