きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「ジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスクバージョン 2011」

2011年05月28日 | 劇団四季
エルサのキヨジーは強すぎて
「我が道を行く」決意が固すぎて
それがジーザスというよりはキヨミチ過ぎて
私のジーザスのイメージからは遠かったのですが、
白塗りで、感情表現が直接的でないからなのか
あるいは上演回数を重ねてきたからなのか、
今日のキヨジーは、とてもジーザスらしかった。
試行錯誤の末、ようやく
「役が入った」みたいに見えました。

細かい演技も良く伝わってくる。
自分を慕う民衆に、愛情を持ち、
役に立ちたいと思いながら、
拒絶してしまって、崩れ落ちる。
その過程もクリアでした。

ユダ、マリア、シモン達に
ちゃんと関わっている。

マリアを見る眼差しが優しい。
肩にそっと添えられる手には
愛情が籠もっているけれど、
それは「女」への愛でなく、
もっと大きな愛。

ユダに対しても、「愛」とは違うけど
他の信徒とは違った気持ちを持っている。
ユダだけが「真実」に気が付き
それで苦しんでいることも
ちゃんとわかっているようだ。
「私がいま見捨てることは・・・」の時
ユダの手をしっかり握っている。
ユダの気持ちをちゃんと受け止めている。

シモンが否定したときの表情も切ない。

それでいて、ピラトからの問いには
毅然として答える。
挑戦的な反論ではなく。
そこがエルサと違うところ。

なんだか、かなり好みのジーザスになってきたぞ。

もしかしたら、ドライな空間のエルサが合わなかったのか?
ウェットなジャポの方が合うのか?

スンラさんのユダ。
強い感情をぶつけても
キヨジーが受け止め、返す。
魂のぶつかり合い。
彼だけが、本当に、
ジーザスを愛していたんだなあ。

高木さんのマリアは優しい。
ユダの激しさとは正反対。
「私はわからない」を歌い終わった後の
マリアの笑顔も優しい。
仏教っぽい例えだけど
「悟った」みたいなかんじ。
こういう対比も良いね。

シモーヌは青アフロ。
すべてがすごい。

民衆は、揃いすぎ、っていうの?
もっとそれぞれ強く出てもいいんじゃないかな。
ラストの変顔も大人しすぎ。

カーテンコール。
キヨミチは笑顔。
スンラさんは魂抜け。
手を挙げたりお辞儀の前に
二人が「じゃ」みたいなかんじで
目で会話していた。
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