1963年。ブロークバック・マウンテンでイニスとジャックはシーズン限定の羊番の仕事に就く。片方は野営地で食事に支度、片方は羊の群れで羊を監視。食事の時以外、人と触れる時間がない彼らの間に、しだいに友情が芽生えていく。いつしかそれは肉体関係へ。しかし、自身が同性愛者と言えない彼らは、お互いに家庭を持ち、年に数日だけの逢瀬を重ねるのだった。そんな関係を続けて20年。時に喧嘩をしたり、別れ話が出たり・・・。
「禁断の恋」という言葉は軽すぎる。私は非キリスト教徒の女性なので、同性愛者への排斥感情とか、男性におけるペニス喪失の恐怖感とか、理性では知っていても、感情は伴わない。伴うことができない。両方が感覚的にわかる人であれば、イニスの「恐怖感」が理解できて、ジャックとの人生が考えられないのも実感できるんだろうなあ。非生産的な生殖行動は神の教えに背く、までは、理解できるんだけど、背いた者を排斥する、リンチにかける、ってのはわからない。イニスは、子供時代、いわゆる「男夫婦」の片割れが殺される事件があって、「父が手を下した」と言っていた。ってことは、同性愛者は、一般人が、殺しても良い、って風土があったってことだよね。同性愛者は殺される、殺されてもOK、という風土があったということだよね。「父が手を下した」が、「罰をあたえ(ら)る」ことへの恐怖に繋がることはあっても、単純に「人を殺した」という面での恐れはないようなのが、なんちゅうか、清教徒の国アメリカだなあ、と。
そして、この恐怖がおそらく、イニスに「正常な家庭を営む」ことから遠ざけたんだろうなあ。父=家長=神に背いたら、排斥される。背いている自分は排斥されるべき。その気持ちが、家庭や家族に壁を作っている。イニスが離婚されたのは、ジャックとの濡れ場を見られたのではなく、真に家族と向き合っていないと、気がつかれたからだと思うなあ。
対するジャックは、年に数回の「行為」では我慢できない。短絡的な思考の持ち主だと思われた彼の方こそ、実は、「家族」というものを知っていた。「将来」というものを知っていた。それがわかった時に、イニスはジャックの気持ちを受け入れ、なおかつ、娘にも向き合うことができたんだろうなあ。肉欲とか、同性愛とか、そんな部分よりも、もっと深い「愛」が、この作品では語られている。ように思う。幼い頃よりずっと自分は家族に否定されてきた、と思い込んでいた男に、家族をあたえてくれた男の話、だよね。自分が孤独ではない、誰かと共にいる、と信じられる者は、幸福なんだなあ。
ヒース・レジャーが演じるイニスは、とっても不器用な男だった。もう一歩踏み出せれば、と、外野は思うけれど、踏み出せないのも、またわかる。その葛藤が苦しい。対するジャックのジェイク・ギレンホールは下睫毛が長いよな~~。目先のことしか考えないように思えた彼が、一番、夢と長期ビジョンを持っていたんだなあ。
ジャックはもともとがネコだったのだろうか。誘惑するのがうまい、ってか、手慣れているよね(ジャックであって、ギレンホールのことではない)。イニスも手を握られたぐらいですぐに入れるなよ~~、と、そんなことも思うけれど、そればっかりじゃないので、萌え~~な腐女子的感覚で見に行くと期待はずれになりますよ。
まことに余談ながら。
これを見に行くと会社の人に言っていたのですが、
横文字が覚えきれず、
「アカデミー賞を取ったカウボーイ物」と言ってしまいました。
幸い、相手もわかってくれましたが。
「マウンテン」しか覚えられないよ!
「禁断の恋」という言葉は軽すぎる。私は非キリスト教徒の女性なので、同性愛者への排斥感情とか、男性におけるペニス喪失の恐怖感とか、理性では知っていても、感情は伴わない。伴うことができない。両方が感覚的にわかる人であれば、イニスの「恐怖感」が理解できて、ジャックとの人生が考えられないのも実感できるんだろうなあ。非生産的な生殖行動は神の教えに背く、までは、理解できるんだけど、背いた者を排斥する、リンチにかける、ってのはわからない。イニスは、子供時代、いわゆる「男夫婦」の片割れが殺される事件があって、「父が手を下した」と言っていた。ってことは、同性愛者は、一般人が、殺しても良い、って風土があったってことだよね。同性愛者は殺される、殺されてもOK、という風土があったということだよね。「父が手を下した」が、「罰をあたえ(ら)る」ことへの恐怖に繋がることはあっても、単純に「人を殺した」という面での恐れはないようなのが、なんちゅうか、清教徒の国アメリカだなあ、と。
そして、この恐怖がおそらく、イニスに「正常な家庭を営む」ことから遠ざけたんだろうなあ。父=家長=神に背いたら、排斥される。背いている自分は排斥されるべき。その気持ちが、家庭や家族に壁を作っている。イニスが離婚されたのは、ジャックとの濡れ場を見られたのではなく、真に家族と向き合っていないと、気がつかれたからだと思うなあ。
対するジャックは、年に数回の「行為」では我慢できない。短絡的な思考の持ち主だと思われた彼の方こそ、実は、「家族」というものを知っていた。「将来」というものを知っていた。それがわかった時に、イニスはジャックの気持ちを受け入れ、なおかつ、娘にも向き合うことができたんだろうなあ。肉欲とか、同性愛とか、そんな部分よりも、もっと深い「愛」が、この作品では語られている。ように思う。幼い頃よりずっと自分は家族に否定されてきた、と思い込んでいた男に、家族をあたえてくれた男の話、だよね。自分が孤独ではない、誰かと共にいる、と信じられる者は、幸福なんだなあ。
ヒース・レジャーが演じるイニスは、とっても不器用な男だった。もう一歩踏み出せれば、と、外野は思うけれど、踏み出せないのも、またわかる。その葛藤が苦しい。対するジャックのジェイク・ギレンホールは下睫毛が長いよな~~。目先のことしか考えないように思えた彼が、一番、夢と長期ビジョンを持っていたんだなあ。
ジャックはもともとがネコだったのだろうか。誘惑するのがうまい、ってか、手慣れているよね(ジャックであって、ギレンホールのことではない)。イニスも手を握られたぐらいですぐに入れるなよ~~、と、そんなことも思うけれど、そればっかりじゃないので、萌え~~な腐女子的感覚で見に行くと期待はずれになりますよ。
まことに余談ながら。
これを見に行くと会社の人に言っていたのですが、
横文字が覚えきれず、
「アカデミー賞を取ったカウボーイ物」と言ってしまいました。
幸い、相手もわかってくれましたが。
「マウンテン」しか覚えられないよ!