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自分のstyleを貫く、coolなniceguy!

持論  自論  自殺

2011年05月21日 | テレビ番組
 
 
 
皆さん、おはようございます。
今日はちょっと曇り空ですね。
そして今日は京都へ出掛けてきます。
もうすでにワクワクしています。
 
 
 
 
 
このブログではお馴染みの、フレンチブルドッグのラブ(♀)です。
たまにうっとうしいこともありますが、めちゃくちゃカワイイです。
しかしこの犬はほんまに、たいがい(めちゃくちゃ)しらこい(やんちゃ)です。どうしようもなく。
でもどれだけ悪さをしても憎めないんですね。それぐらい愛嬌がある犬だということです。
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先日このブログにこんなコメントがきました。
「あなたのような鈍感な人間には、自殺する人間の気持ちなんて一生わからないでしょうね」、というようなコメントが。
あえてこのブログ上で私の持論を申し上げたいと思います。
はっきり言います。
「はい、私のような鈍感な人間には全くわかりません。そして、わかろうとも思っていませんし、わかりたくもありません。」
これでよろしいでしょうか。
 
それと、
私のブログにコメントしてくるなら、名前・住所ぐらい名乗ってコメントしてきてください。
メールを直接送りましたが、メールすら届きませんでした。
ハンドルネームかニックネームだか知りませんが、そういうイニシャルとかではなく、しっかりと自分の名前を名乗り、そしてしっかりと住所も入れておく。
それが相手に意見するときの最低限の礼儀だと思います。まず、そこからでしょ。
自分は誰か明かさない。自分はしっかりと逃げ道を確保する。自分は隠れて見えないようにして表に出てこない。
それをふまえたうえで、自分の感情のままにコメントをする。自分の言いたいことを言う。徹底的に相手を攻撃する。
それってマスターベーションですよね?自己満足以外何ものでもないですよね。その矛先を向けられた方はたまったもんじゃありません。
 
自分の素性を明かしてから言いたいことを言う、というのは確かに誰でも恐い部分があると思います。
しかし、それを自分で受け止めるからこそ、その自分の発言に責任が持てるんじゃないでしょうか。
言いっ放しというのは誰にでもできます。
でも、自分を明かし自分の逃げ道を断ち切るからこそ、自分の発言に重さや責任がでてくるんじゃないでしょうか。
私はそう思っています。
 
私が他人のブログを見ないと言っているのも、そういうことです。
自分の本名も明かさず、住所も明かさず、顔写真も出していない。
たまに全部出しているのがあるかな?と思ったら、メールアドレスも無いし、コメントできないようになっている。
そんな人間が何を発言できるんですか?そんな人間の発言がおもしろいですか?
そりゃ、言いたいこと言えるでしょう。自分は隠れているんですから。
だから、そんなくだらないブログを見ているほど、私は暇じゃないんです。本当に忙しいですしね、冗談抜きで。
 
持論を展開するんだったら、絶対に逃げ道は作ってはいけません。真っ向勝負しないと。
私のように、住所・名前・電話番号・メールアドレスを明らかにして、全て自分の発言は自分が責任を取る。という状況に自分を追い込んでから、そこで初めて自分の意見を言えるんだと私は思っています。
 
相手が見えないので私は個人的に、メールや電話はあまり好みません。相手が見えないからといって、言いたいことを一方的に言う人がいますからね。
だから私は逢って、面と向かって、目を見て話をしたい訳です。
だいたい目を見ればわかりますから。どういう人間なのかが。
「目は口ほどにものを言う」と、昔のことわざにもありますし。
目を見て、面と向かって話をすると、急に借りてきた猫のようにおとなしくなる人がいます。それが本性なんですね、結局。その本性をさらけ出してから、お互い議論をしましょうよ、と。
 
 
 
自殺する方に言いたい。
 
自殺する前に、その健康なすい臓を私の父親にあげてくれませんか?
自殺する前に、その健康でよく動く手と足を乙武洋匡(おとたけひろただ)氏と星野富弘(ほしのとみひろ)氏にあげてくれませんか?(どういう方達なのかはネットで調べてください)
自殺する前に、その健康で優れた脳みそを知恵おくれと呼ばれる知的障害者の方々にあげてくれませんか?
自殺する前に、そのまだまだ生きられる命を生きたいけど事故で亡くなった私の知人にあげてくれませんか?
自殺する前に。
 
 
 
そりゃ、辛いでしょう。
明日数十万円、数百万円の支払いをしなければならない。でも今手元には数万円しか無い。
そんな状況を何度か繰り返すうちに、本当に生きるのが嫌になるときがあると思います。もしかするとこれは、サラリーマンの方にはわからない状況かもしれませんが。
そりゃ辛いですよ。辛いです。今この場から消えて無くなりたいと思いますよ、正直。
でもね、
やっぱりそこで消えたらあかんのですよ、人間。
戦争ジャーナリストの橋田信介氏の言葉に、「人間ときどき良いことがあるから生きて欲しい。とにかく生き抜いて欲しい」、というものがあります。
橋田氏はイラク戦争の取材中に襲撃され亡くなりました。その方が最後に大学生に残した言葉です。
 
 
 
誰だって、生きるのが嫌になるときぐらいあります。
どうしたって、誰だって、あります。
絶対にあります。たとえ一回だけでもあります。もちろん私でも。
当然自己嫌悪に陥ります。何もかも投げ出して、その場から逃げ出したくなります。
 
 
でもね、
でもね、
そこで死んだらあかんのです。
それが人間に生まれてきた運命なんです。
犬はどれだけ飼い主がボンクラでも、逃げられないんです。クサリでつながれて。
蹴られても殴られても、餌をもらえなくても、それでも逃げることすらできないんです。
辛いです。かわいそうです。けなげです。
自殺する人よりも、そういう動物の方がよっぽど辛いんじゃないかな、と思います。はっきり言って。
 
その場から逃げてもいいんです。
全てを投げ出してもいいんです。
でもね、
やっぱりあとで結局はその場に戻らないとダメなんですよ。
そのままあの世に行ってはダメなんですよ。
 
 
 
その自殺、待ってもらえませんか?
私でよければ、それで気が済むなら、殴っても何をしてもらってもかまいません。
私にできることは全力でします。ただし、死ぬことや犯罪などはしません。
 
 
その自殺、なんとかなりませんか?
 
 
 
滋賀県近江八幡市音羽町19-9
0748-34-6331
須山  洋平(すやま ようへい)