真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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南京大虐殺 パナイ号(バネー号)事件 レディーバード号事件

2014年10月22日 | 国際・政治

 OCNブログ人がサービスを終了するとのことなので、2014年10月12日、こちらに引っ越しました。”http://hide20.web.fc2.com” にそれぞれの記事にリンクさせた、投稿記事一覧表があります。青字が書名や抜粋部分です。--------------------------------------------------------------

 1937年12月13日の南京陥落前日、日本海軍機が揚子江上において、米国アジア艦隊揚子江警備船「パナイ号」を爆撃し沈没させた。日本軍の砲弾を避けるため南京上流に移動中のパナイ号(バネー号)には、艦長のジェームズ・J・ヒューズ少佐以下将校・乗組員59名、南京アメリカ大使館員4名、アメリカ人ジャーナリスト5名、アメリカ商社員2名、イギリス人ジャーナリスト1名、イタリア人ジャーナリスト2名、他1名が乗船していたという。

 アメリカでは、事件後主要紙がパナイ号生存者の目撃・証言報道を連日写真入りで展開し、パナイ号艦長ヒューズ少佐の報告書や南京アメリカ大使館二等書記官ジョージ・アチソン・ジュニアの報告書、日本海軍機による故意爆撃説を公式見解としたアメリカ海軍当局査問委員会の報告書等を、次々に全文掲載したという。また、あわせて様々な情報に基づく南京大虐殺の報道も加わったため、アメリカ全土で、日本商品ボイコット運動が広がっていったという。 

 また、同日、橋本欣五郎大佐の指揮する第10軍野戦重砲兵第13連帯が、英国砲艦のレディーバード号及び同型艦のビー号に砲撃を加え、レディーバード号旗艦艦長と領事館付陸軍武官およびビー号に乗艦の参謀長から抗議を受けている。そのとき、橋本欣五郎大佐が長江上にあるすべての船を砲撃するように命令されていることを認めた、とビー号に乗艦の参謀長が英国代理大使ホーウィに打電しているという。その命令に関して、『日中前面戦争と海軍 パナイ号事件の真相』笠原十九司(青木書店)に次のようにある。
ーーー
 橋本が長江上のすべての船を砲撃せよとの命令を受けていたというのは、前日12月11日午後6時に、南京より退却する中国軍を撃滅するために第10軍が発した丁集団命令(丁集団司令官・柳川平助中将)であった。それは、
1、敵は十数隻の汽船に依り午後4時30分南京を発し上流に退却中なり、尚今後引続き退却するものと判断せらる
2、第18師団(久留米)は蕪湖付近を通過する船は国籍の如何を問わず撃滅すべし
というものであった。
 
 これは、中国軍が外国国旗を掲揚して外国船に偽装した中国船に乗船したり、あるいは外国船を借用したり、さらには中国軍に味方した外国船に護送されて、南京からの脱出を図っているという情報が日本側に流布されていたことによる。

 漢口のアメリカ大使館には、12日の朝のレディーバード号事件に続いて、午後に発生した海軍機による英国砲艦クリケット号とスカラブ号に対する爆撃事件の経緯も伝えられた。

 ・・・

 両艦は3度の空襲をうけたが、反撃が素早く行われたため、爆弾は至近に落とされたものの直撃弾をうけなかったので、船体には目に見える被害はなかった。そのため、日本軍機の空襲は無線通信によりすぐに漢口の英国大使館にも報告されたのである。

 なお、英国汽船黄浦号には、南京から最後の脱出をしたローゼン書記官ら数人のドイツ大使館員が乗船していて、日本軍機に爆撃されるという運命に遭遇した。このため、ドイツ外務省は、駐日ドイツ陸軍武官に訓令して日本政府に抗議させている。
ーーー
 同じ12月12日 米国アジア艦隊揚子江警備船「パナイ号」の安否をめぐって、南京─漢口─ワシントン─東京の間を電波があわただしく行き交った。再び同書より抜粋する。
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 まず、揚子江警備隊司令官から中国駐留米軍総司令官への作戦情報として以下の電報が発信された。

 ”パナイ号は再び砲火の危険にさらされ、上流への移動を余儀なくされた。ジャップはパナイ号の周辺にいるジャンク船や小舟を狙って砲撃しているものと信じられる。午前9時に、イギリス艦レディバード号が蕪湖のアジア石油施設の近くでジャップの砲列の攻撃を受け、4発の砲弾が命中し、水兵一人が死亡、数名が負傷した。イギリス砲艦ビー号も直接の砲火にさらされているが、まだ被弾していない。”

 漢口のジョンソン・アメリカ大使はそれまで何度か日本政府・軍部に対して、パナイ号への攻撃を避ける措置をとるよう要請してきた。これを受けて駐日アメリカ大使のジョセフ・C・グルーは、広田引毅外相を訪問して、ジョンソン大使の電報の抜粋を手渡し、「日本の砲兵部隊は、長江上のあらゆる船を国籍を問わず砲撃するようにと命令されているというが、もしも無差別にアメリカ船を攻撃することを阻止しるよう手段を講じなければ、アメリカ市民も被害に巻き込む深刻で悲しむべき事件が起こるであろう」と警告した。そのときの広田の対応は事務的で、「すべての外国人は南京の戦闘区域から避難するように警告されているはずだ。それでも、あなたの報告は軍当局に伝えておきましょう」と述べただけだった。

 長江上のイギリス砲艦が砲撃を受けたという情報に接して、不安にかられていたジョンソン大使は、この日午前11時、パナイ号のアチソンから「日本軍にパナイ号の位置を報せたし」と同号の投錨地を知らせる電報を受信し、ひとまず安堵の胸をなでおろした。しかし、その電報を最後に、午後1時をすぎてもアチソンからの報告が入らなくなり、漢口のアメリカ大使館に焦慮の雰囲気がただよった。そして、ついに揚子江警備隊司令官よりパナイ号からの通信が途絶えたという連絡が入ったのである。ジョンソン大使はただちに、ワシントンの国務長官宛に次のように打電した。

 ”揚子江警備隊司令官は、本日、13時35分以後、パナイ号との交信が不能となっています。日本陸軍が江上の船舶すべてに対する砲撃命令を発したとの情報があります。本日、南京付近および蕪湖にてイギリス艦に砲撃があったことに鑑み、直ちに東京に連絡し、日本外務省に緊急申し入れを行うこと、また、アメリカ人避難民を乗せているパナイ号、およびスタンダード石油の船舶の所在についても通告するよう願います。呉松上流221マイル地点に投錨、がパナイ号からの最新の報告でした。”

 パナイ号との通信が途絶え、焦慮感ただよう漢口のアメリカ大使館に、不吉な思いをつのらせる以下の電報が、揚子江警備隊司令官から届いた。

 ”護衛船をともなった英国砲艦クルケット号とスカラブ号は、南京上流12マイル(約19.2キロ)の地点で午後3回にわたって空襲される。18発の爆弾が落とされる。1発が商船に命中したほかは命中弾なし。2隻の砲艦とも攻撃してくる飛行機に対して発砲した。”

 こうした情報に接した漢口のジョンソンアメリカ大使は、パナイ号やアメリカの商船にも同様な攻撃が行われ、恐るべき惨事が発生する可能性を察知し、国務省から日本政府に対して、緊急に予防措置をとるよう要請してほしい旨の電報を打たせた。

 ”本日午後、英国砲艦スカラブ号とクリケット号は、外国人避難者を乗せたジャーディン倉庫船と商船黄浦号と一緒のところを故意に爆撃された。死傷者はなかった、と報告されているが、倉庫船には南京を避難したアメリカ人が乗っているので、国務省は緊急に東京に訓令して、日本政府が今後このようなことが起こるのを阻止するための命令を出すよう、圧力を加えられたし。
 本日、蕪湖の日本軍は、イギリス人に対して、日本軍守備隊は長江のすべての船に発砲するよう命令を受けていると言っている。もしも日本軍が、これらの船は友好国のものであり、アメリカ人と他の外国人の避難のために用意されたものにすぎないことを理解しなければ、恐るべき惨事が起こるように思われる。”
ーーー
 ジョンソン・アメリカ大使が、通信の途絶えたパナイ号が災難に遭遇する予感に襲われ、懸命に防止措置をとろうと外交努力をしていたとき、すでに惨事は進行していたという。 

 東京の駐日アメリカ大使ジョセフ・C・グルーが、広田弘毅外相に対し、中支那方面軍当局にアメリカ人の生命・財産を攻撃しないように厳重措置をとるよう要請したのみならず、上海のガウス米国総領事も同地の岡本季正総領事にパナイ号の位置を知らせ、関係方面への通報を要請したという。にもかかわらずパナイ号は撃沈された。

 そのパナイ号は、煙突は純黄色、船体は白塗りで、アメリカ艦であることを明確にするために、上甲板の前と後の屋上に水平に大きな星条旗を新しく描き、上空のどの角度からも識別できるようになっていたとのことである。また、後尾のポールには、緊急事態に備えて最大の軍艦旗が常時掲げられいたという。そして、当日は晴天であった。

 また、長江を遡っていたパナイ号のヒューズ艦長は、第10軍国崎支隊キ下の永山部隊主隊に発見され、手旗信号で停船を命じらて、乗り込んできた大隊副官の村上繁中尉とやり取りをしている。村上中尉らは、パナイ号が「日支交戦区域より避難せるものにして他意なし」ということが確認できたとして握手をしたのち、またボートに乗って艦を離れたというが、その後、砲撃を受けたために沈没しつつあったパナイ号から脱出して北岸に向かった2隻の救命ボートに機関銃掃射を加えたのは、午前中にパナイ号に乗り込んだ村上繁中尉の指揮する大発(大型発動艇)であったという。さらに、沈みつつあったパナイ号に接近し、機関銃掃射を加えた日本軍の哨戒艇が、同じ第10軍国崎支隊所属の永山部隊の支隊であったというのである。

 そうした事実を踏まえると、その時パナイ号に乗船していた南京アメリカ大使館二等書記官アチソンの、

 我々が隠れている湿地から脱出する道を探しているときでした。爆撃機3機からなる日本の飛行隊が、長江上流の空からやってきて我々の上を飛びました。そのうちの一機が我々が負傷者を隠し、我々も隠れている湿地の葦原の上を旋回しました。
 この飛行機の行為とさきの日本軍哨戒艇の行為をパナイ号爆撃という信じがたい事実と結びつければ、日本軍が爆撃の証言者を抹殺するために、我々を探していたということは疑問の余地がありません。

 という主張が理解できる。繰り返しての抗議や要請、また当日は晴天で、視界は良好であったという事実、さらには爆撃や砲撃の状況を考慮すると、日本側の「誤爆の弁明と陳謝」は不可解である。パナイ号事件もレディーバード号事件も、他国の事情や国際法を考慮しない日本軍の強引な軍事行動で、南京無差別爆撃ともいえる南京空襲や南京大虐殺と同質のものではないかと疑わざるを得ない。日本軍は多くの市民が住む南京の市街地を空襲し、逃げ延びようとする中国兵のみならず、「殲滅掃討作戦」で戦意を喪失し武器を放棄した投降兵や敗残兵、さらには避難民をも殺害した事実があるからである。












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