真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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駐韓米軍の犯罪とウクライナ戦争

2022年12月31日 | 国際・政治

 今朝、ウクライナ戦争に関わるNHKの番組の一部を偶然見ました。

 でも、私にはそれが、どう考えてもNHKの独自取材に基づく内容ではなく、アメリカからもたらされたものだろうと思われました。そして、アメリカは、こういう番組を多くの国に提供し、反露感情を幅広く、深く定着させて、ロシアの弱体化、孤立化を狙っているのだろうと想像しました。
 停戦和解の話しが一向に盛り上がらないのは、こうした報道が影響しているのだと思います。
 
 また、先日の朝日新聞社説に、「ウクライナ支援 侵略許さぬ結束息長く」と題する文章が掲載されていました。そのなかに、
ウクライナのゼレンスキー大統領は、米議会の演説で「この戦いは、私たちの子孫がどんな世界に住むのかを決めるだろう」と訴えた。侵略者が得をする前例を残さないよう努めるのは人類共通の責務である──。この認識にたって各国は支援を続けて欲しい。避難民受け入れやインフラ復旧など日本にできる支援も少なくない。
 とありました。
 この主張は、先ず人の殺し合いを止め、停戦和解の話し合いを進めようとするものではないと思います。日々、犠牲者が出続けているのに、和解ではなく、殺し合いの一方の側を支援しようという呼びかけだと思います。
 そしてそれは、ヨーロッパにおける覇権や利益を失うまいとするアメリカの望みに沿うものだと思いました。

 ウクライナ戦争を語るとき、ロシアを侵略者(悪)と印象づけるかのように、いつも「ロシアによるウクライナ侵攻以来・・・」とか、「ロシアによるウクライナ侵攻によって・・・」とか、「ロシアのウクライナ侵攻は・・・」という言葉から始められているように思います。
 でも、この言葉のかわりに、「アメリカの介入によるウクライナの政権転覆以来・・・」とか、「アメリカの介入によるウクライナの政権転覆によって・・・」とか、「アメリカの介入によるウクライナの政権転覆は・・・」という言葉が使われていたら、ウクライナ戦争の受け止め方はガラッとかわると思います。
 そして現実に、ウクライナの政権転覆以来、ドネツク市民軍とルガンスク市民軍は、ウクライナ軍と戦闘を続けていたのであり、「ドンバス戦争」と呼ばれていたのです。一万人を超える死者が出ていたといわれています。

 アメリカは、ウクライナに対し、莫大な軍事支援をくり返していますが、私は、アメリカのビクトリア・ヌーランド(オバマ大統領時の上級補佐官)が講演で、”我々は、ウクライナの繁栄、安全、民主主義を保障するため(現実は政権転覆)に50億ドル以上を投資してきた”と語り、元下院議員のロン・ポール氏から、”そういうことが許されるのか”と非難されたという報道に目をつぶることはできません。
 すでに、いくつかの国を取り上げてきましたが、アメリカには過去に、そうした他国の政権転覆を支援したり、直接武力介入したりしてきた歴史があるのです。

 アメリカが、60カ国を超える国に軍隊を配置し、他国の主権を侵害している事実も、見逃すことができません。下記は、「在韓米軍 犯罪白書 駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部」徐勝+広瀬貴子(青木書店)から抜萃したものですが、コメの輸入開放圧力の問題や基地村女性の人権問題などをみても、ウクライナ戦争が、単純な「善」と「悪」の戦いなどでないことは明らかだと思います。
 アメリカの、巧みなメディアコントロールには注意が必要だと思います。
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                 トピック 駐韓米軍と基地村(キジジョン)の女性

 基地村、権力の試験場
 米国政府はまた別の方法で特殊な基地村の状況を利用した。91年春、韓国は、輸入開放問題で騒々しかった。とくにコメの開放をめぐって 米国政府の高級官僚たちがかわるがわる韓国に出入りしながら、韓国政府と交渉しているときであった。そのとき、全国の米軍部隊で米国人とその韓国人妻たち、そして基地村女性によりとんでもない量のコメが基地村のヤミ市場を通じて流れ出た。駐韓米軍当局はそのあいだ米軍PX物品の市中流出を防ぐため、米軍一人または一定期間単位で購買量を制限する規定(RCP)を決めて、規定違反者をコンピューターで追跡するなど継続的な取り締まりをしてきた。そんな米軍側が91年5月1日、米国防費削減により駐韓米軍の費用節減が不可避であるとして、この規定を一方的に廃止してしまった。
 韓国の関税庁では、米軍PX物品のヤミ取り引きが深刻だったという点から、RCP廃止に反対意思を表明したという。ところが米軍側では「米軍は韓国の国防を助けるためにここに来ているだけである。米軍が韓国経済を助けるために年間70万ドルの費用がかかるRCP制度を継続することはできない」という理由を掲げ韓国側の意見を無視したのである。そのためこれまで購買制限に縛られていた米製品、とくに大量のコメがヤミ市場に流れ出た。
 これに対し米国政府は「ヤミ市場防止のためには、韓国政府が輸入自由化と関税引き下げをすべきだ」と要求してきた。つまり米軍部隊の一連の措置は、PX物品の不正流出を輸入開放の圧力手段として利用して、輸入開放以後の需要拡大をねらった米国政府の政策から出たものであった。米国産米を流出させて、韓国の米穀市場に対する市場調査をし、さらにコメ輸入開放圧力のひとつの方便として利用するという米国側の意図が潜んでいた。不平等な韓米行政協定と軍事機密という米軍側の強弁に押さえつけられ、主食であるコメのヤミ取り引きでさえ、まともに取り締まれない韓国政府の無能力さ、米国政府と韓国政府の隷属的関係もこのような米国政府の政策を助長するものである。
 70年代以後、韓国経済の産業化過程において、韓国社会にレジャー産業浸透し発展するにつれて基地村はある程度、縮小されはじめた。しかし基地村の場合、このような産業化過程の余波が現われはじめたのは80年代後半になってからだ。その理由は、政府が米軍基地を保護するためにこれまで基地周辺を強力に開発規制措置で縛ってきており、基地村は政府が直接統制する公娼地域という性格が強かったためである。保健所は官庁のような既存の行政組織だけでは基地村を統制するのが困難であるため、うわべは基地村売春女性の自治機構のふりをした「タンポポ会」などを基地村ごとにつくって徹底的に統制した。解放後、基地村を中心に広がっていた米国文化が、韓国において優越性を獲得するようになると、基地村の資本価値が認識されるようになった。クラブの経営者たちは、韓国政府により基地村に提供された特恵のうちの一つであるヤミ酒を取り引きしり、政府の取り締まりを避けて、韓国男性を客として引き込んだりしている。開発規制が解かれてからは、驚いたことに、観光特区として基地村をレジャー都市に発展させようとする動きもあった。
 このような基地村のレジャー産業化の背後には独占財閥と韓国政府の存在がある。それを示す一例が95年9月と10月の各基地村のクラブ経営者たちによる連帯ストである。事件の発端は、米軍犯罪に対して韓国民が強力な抗議をしたことに危機感を感じた米軍部隊が、米兵の部隊外への出入りを無期限に禁止したことであった。多分に報復措置の性格が強かった。するとクラブ経営者たちは連帯してクラブを閉め、続けて部隊に抗議訪問した。このような固い連帯の背後には、これまでクラブにビールを売ってきた問屋商と独占財閥のD企業があった。ストに参加せず店を開いたクラブにはビールを供給しないと脅迫したのである。この事件は米軍部隊において米兵と部隊外への出入りを許すことで一段落した。

 現代版挺身隊
 日本軍「慰安婦」というとき、まず第一に浮かぶのは日本軍隊に性病拡散を防ぐための、「軍隊による政策的な性病診療」、毎日数十名の日本兵を相手にするように強制されたこと、そして数十年にわたり朝鮮女性に対する誘拐と日本軍「慰安婦」に対する殺人および殴打がなんの妨げもなくおこなわれた点などである。あきれたことに、このような非人権的な状況は解放後の基地村女性にそのままくり返されている。
 1970年代以前は米軍により基地村女性に対して性病診療がおこなわれており、性病にかかったことがわかると本人の意思とは関係なく、「モンキーハウス」と呼ばれる収容所に送られた。70年代からは米軍当局の要請ではじめから韓国政府が基地村ごとに性病診療所をつくり、毎週性病診療をした。基地村女性が非人権的な「モンキーハウス」から逃げ出そうとして二階から落ち、足が折れたりひどくケガをすることもあった。
 それだけでなく、80年代まで毎年実施された韓米合同大規模軍事訓練である「チームスピリット」があるときは、売春宿の主人により連れていかれた基地村の女性が日本軍「慰安婦」女性と同じように米軍の相手をしたりした。ある女性の話を聞いてみよう。
「ある日、主人が金もうけがあるから一緒に行こうと言ったのです。金を設けようという考えもあり、借金もあるため主人の機嫌もとらなければならなかったので、私を含めた大部分のクラブの女たちがついていきました。わたしたちが行ったところは浦項(ポハン)の近くでした。米軍人がたくさんいて、チームスピリット訓練をしていました。訓練場の近くの坂に仮設の建物があって、私たち以外にもたくさんの基地村の女たちが来ていました。その建物のなかにあらかじめ布で仕切りがしてあって、そのなかに一人ずつ入って米兵を迎えろと私たちに言いました。私たちは一日に20~30人を超える米軍人を相手にしました。恐ろしかったけれど金を儲けてやるのだという一念で、歯を食いしばり耐えました。そのうち訓練場所が移ると私たちも荷物をまとめてついて歩きました。毛布一枚を持って歩く私たちは、自分たちを毛布部隊と呼びました」
 90年代に入りチームスピリットはなくなったが、規模が小さくなった韓米合同軍事訓練は依然として毎年数回ずつ、釜山、浦項、鎮海などで実施され、そのような訓練があるたびに数多くの基地村女性たちが訓練場付近に集められた。
 日本軍「慰安婦」に対しておこなわれた虐待と殺人行為を聞くたびに、我々はその残忍さに怒った。しかし、現在この国の多くの基地村女性たちが、依然として米軍人の虐待と殺人にさらされながら生きていることを知る人はそれほど多くない。世に知らされた事件は尹クミ氏殺害事件程度である。しかし基地村には第二、第三の尹クミがあまりにもたくさんいる。米兵と結婚して米国、日本、グアム、ヨーロッパなどに移住した後、そこで離婚され、生きる手段を失ってまた再び慣れない土地で売春をすることになる場合も多い。この女性たちの生活はとうてい言い表すことはできない。米軍人の夫によりずたずたに殺害された金ブニク氏と二人の子どもの事件、簡単な裁判で「息子を殺した」という罪を着せられ、5年間も監獄に入っていなければならなかった宋ジョンスン氏の事件、国際結婚して米国に行った後失踪した劉ケヘ氏など。基地村女性たちの人権状況は非常に劣悪である。米兵たちのなかには最初から韓国行きの命令が出たとき、米国にいる国際人身売買団と契約を結んで前払い金を受け取って韓国女性と結婚し、米国に戻ってから残りの金を受け取り、女性をブローカーに売ってしまう者もあらわれている。
 年を取った基地村女性たちのなかには、日本軍「慰安婦」として連れていかれ、九死に一生を得て韓国に帰ってきたものの、純潔を失ったという考えから故郷に帰ることができず、基地村で売春するようになったという、悲惨な過去を告白する人びともいる。このような人びとは家族と何十年間も連絡をとらず、彼女らが戦争で死んだのか生きたのかも、家族には知られず、基地村で寂しく病魔と闘っている。あるハルモニ(おばあさん)「は、60歳を越えても生計のためにしかたなく売春をしたという。
 このように、日本軍「慰安婦」の歴史は解放と同時になくなったわけではない。いまでも基地村の女性たちにそのまま続いているのである。

 二重、三重の被害
 多くの人びとは「まだ基地村があるのか?」とたずねる。この問いのなかには駐韓米軍の存在もかなり変わってきており、米軍人たちがおこす問題も前と同じではないという意味が込められている。事実、基地村の昨日と今日ではかなり違う。駐屯米軍と基地村の女性たちの数も前と違って減少した。そして基地村でくり広げられている問題もいまやそれほど深刻にはみえないかもしれない。いまは米軍から受ける被害に対して声を高めて語り要求することもできる。しかし、いまだに駐韓米軍は韓国に存在する。それによる被害もやはり同じであり、基地村の女性は、米兵だけでなく韓国社会に存在する偏見により二重、三重の被害を受けている。それは昨日も今日も同じである。
 1977年、東豆川で米軍を相手に生計をたてている李ジョンスク氏が、米兵に暴力をふるわれて、三日間、眼球出血がとまらなかった。この事件が起ると、多くの人びとは暴行の事実を考えることにより、李ジョンスク氏のふだんの行動を問題にしたりした。93年、京畿道松炭でおきた米軍出身の父によるニ子殺人事件でも、人びとはむしろ妻である韓国女性を非難した。妻が浮気をしていると誤解した夫は、自分の二人の子どもの首を締めて殺害した。この事件がおこると、ある米兵は、「おれもヤンキーだ、女が浮気して夜遅く帰ってきたらおれも殺してやる」と話した。米兵だけでなく、周辺の韓国人たちも「子どものが殺されるくらい女が悪いことをしていたんだ」と話しながら眉をひそめた。
 基地村の女性たちのなかには、米兵から被害を受けても訴えたり明らかにしない場合が多い。米兵を訴えたという事実一つで米軍と基地村で商売する人びとからいじめられるからである。このように基地村女性たちは米軍だけでなく韓国社会からの目に見えない被害に苦しめられているのである。
 韓国女性が、駐屯している軍人に被害を受けているということは明白な人権侵害である。現代社会が進むにつれて人権に対する関心と声は高まっている。しかしさらに疎外された人びとの事件、すなわち基地村の女性たちの事件に対する権利は、いまだすべて問題にされないまま、我々は先進社会を云々しているのではないだろうか。人権、それは犯罪のような被害事例に積極的に対応するだけでなく、このような女性たちが、そして基地村地域がもっと肯定的な生きかたができるようにする社会全体の努力も含まれる。
    ※厳(オム)サンミ『基地村女性と子どもの健やかな生をつくる場』より

 
 

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