真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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福沢諭吉 日清戦争と時事新報

2018年05月04日 | 国際・政治

 福沢諭吉は、儒教を中心とする東洋の旧習に執着し、西洋文明を拒む者を批判し続けました。しかしながら、日本には西洋の文明をそのまま持ち込むことが難しい独自の文明があり、欧米とは異なる現実があるため、それらと折り合いをつけつつ、社会状況や政治状況にあわせて書いた福沢諭吉の文章が、時によって変化し、結果的に矛盾を孕む一貫性のないものになってしまったことは否定できないと思います。また、時の政権と距離をおいた時期があり、近い時期があったことも、いろいろな面で影響したのではないかと推察します。

 だから、福沢諭吉の思想の本質がいったいどこにあるのかをつかむことは、私にはできませんが、日清戦争当時の彼の言動が、現代に至る日本の歴史にとって、二つの点で極めて重要な意味をもつのではないかと思っています。

  一つは、自ら創刊した時事新報の社説に、”日清の戦争は文野の戦争なり”と掲載し、侵略戦争である日清戦争を煽るとともに、政府と対立する議会を批判し、戦費の募金運動を展開したり戦費募金組織「報国会」を結成したりして、日清戦争を支えた事実です。

 もう一つは、侵略戦争を煽ったのみならず、文明と野蛮の戦争だとして、くり返し中国や朝鮮を非難・酷評し、多くの日本人に”蔑視感情”を広げ、深めたという側面です。それは、日清戦争の勝利によって、日本人の当たり前の感情となり、その後の戦争にも影響して、現在に至っているのではないでしょうか。
 最近、いろいろな場面で、「嫌韓」や「嫌中」というような言葉を耳にし、また目にしますが、福沢諭吉の「脱亜論」にあるようなアジア認識と共通するものがあるように思います。 
 
 私は、福沢諭吉の様々な政治的主張が、欧米おけるような近代市民社会の確立のためではなく、明治政府よって進められた皇国史観に基づく専制主義的な政治を支えるためになされたことをきちんと見る必要があると思います。”我帝室の一系萬世にして、今日の人民が之に依て以て社會の安寧を維持する所以のものは、明に之を了解して疑はざるものなり”という文章などが、そのことを示しているのではないかと思います。したがって、福沢諭吉の一般的評価には、疑問を感じます。

 資料1は「福沢諭吉 思想と政治との関連」遠山茂樹(東京大学出版会)から抜粋したのですが、王政復古前後の福沢諭吉の言動として記憶しておきたいと思いました。
 資料2は、「文明論之概略」の一部で、西洋文明に関する考え方をよく示していると思います。
 資料3は、「福沢諭吉全集第五巻」(慶應義塾編纂・岩波書店刊行)から、「帝室論」と「時事小言」のごく一部を抜粋しました。「帝室論」では、”我帝室は日本人民の精神を収攬するの中心なり。其功徳至大なりと云ふ可し”と書いています。その意味するところはどうあれ、結果的に「天皇制絶対主義」ともいわれる明治の政権を支える内容だと思います。
 また、「時事小言」では、”我輩は権道に従ふ者なり”と、弱肉強食の世における生き方を書いています。”一旦事あるに臨みては財産も生命も又栄誉をも挙て之に奉ずるこそ真の日本人なれ”の記述は、教育勅語を思い起こさせます。
 第二編の「政権之事」では、明治政府を後押しするかのように、”第一政務の権力を強大にして護国の基礎を立ること、第二にこの大義を実際に施行するが為めに国庫を豊にすること、第三に全国資力の源を深くするが為に農工商を奨励保護して殖産の道を便ならしむること、以上三項は今日我輩の所見に於て至急の急とする所のものなり”と書いています。自由民権運動を抑え込むような考え方をしていたのだと思います。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                          Ⅱ 幕臣としての進退
1 藩・幕府との関係

 慶応二(1866)年の第二回長州征伐の際、福沢諭吉は、外国の兵を借りても、長州藩を征服せよという建白書を書いて幕府の要路に提出した。このことは、福沢の性格と思想とを知る者にとって、おどろくべき言動だといわなければならない。彼は、わが国の独立をはかるを終生の目的とし、外にたいし国権を張るためには、内の争いを停止せよと主張した。それが彼の思想の核心だと考えられているからである。
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 また同じ自伝で「私は幕府の用をして居るけれども、如何なこと幕府を佐けなければならぬと云ふような事を考えたことがない」といい、幕府の門閥・圧制・鎖国主義は嫌いでこれに力をつくす気はなく、さればとて勤王家は、幕府よりいっそうはなはだしい攘夷家で、こんな乱暴者を助ける気はもとよりなかったとのべた。戊辰戦争のときも、彼は「官軍」にも「賊軍」にも偏せず党せず、上野の戦争の最中にも慶應義塾での講義をやめず、「此塾のあらん限り大日本は世界の文明国である、世間に頓着するなと申して、大勢の少年を励げましたことがあります」と誇らしげに語っている。この「政治に関係しない顛末」の強調は、たびたびの勧誘をしりぞけ明治政府に仕えず、独立自尊をモットー
に、在野の立場に終始し、現実の政治的対立をこえた、より高所からの政治の批判者、明日の建設のための教育者という学者の任務を説いた福沢の言にふさわしいものとして受けとられている。
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資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                           文明論之概略 巻之六
第十章 自国の独立を論ず

 前の第八章第九章に於て、西洋諸国と日本との文明の由来を論じ、その全体の有様を察してこれを比較すれば、日本の文明は西洋の文明よりも後(オク)れたるものといわざるを得ず。文明に前後あれば、前なる者は後(アト)なる者を制し、後なる者は前なる者に制せらるるの理なり。昔、鎖国の時にありては、我人民は固(モト)より西洋諸国なるものを知らざりしことなれども、今に至(イタ)りては既にその国あるを知り、またその文明の有様を知り、その有様を我に比較して前後の別あるを知り、我文明の以て彼に及ばざるを知り、文明の後るる者は先だつ者に制せらるるの理をも知るとき、その人民の心に先ず感ずる所のものは、自国の独立如何(イカン)の一事にあらざるを得ず。

資料3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
帝室論
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 我輩は赤面ながら不学にして、神代の歴史を知らず又舊記に暗しと雖ども、我帝室の一系萬世にして、今日の人民が之に依て以て社會の安寧を維持する所以のものは、明に之を了解して疑はざるものなり。この一點は皇学者と同説なるを信ず。是即ち我輩が今日国会の将に開んとするに当て、特に帝室の独立を祈り、遥に政治の上に立て下界に降臨し、偏なく党なく、以て其尊厳神聖を無窮に傳へんことを願ふ由縁なり。
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 此人心を収攪するに、専制の政府に於ては君主の恩徳と武威とを以てして、恩に服せざるものは威を以て嚇し、恩威竝行はれて天下太平なりし事なれども、人智漸く開て政治の思想を催ふし、人民参政の権を欲して将さに国会を開んとする今日に至ては、復た専制政府の旧套を学ぶ可らず。如何となれば国会爰に開設するも、其国会なる者は民選議員の集る處にして、其議員が国民に対しては恩徳もなく又武威もなし。国法を議決して其白文を民間に頒布すればとて、国会議員の恩威竝行はる可きとも思はれず、又行はる可き事理に非ざればなり。国会は直に兵権を執るものに非ず、人民を威伏するに足らず。国会は唯国法を議定して之を国民に頒布するものなり。人民を心服するに足らず。殊に我日本国民の如きは、数百千年来君臣情宜の空気中に生々したる者なれば、精神道徳の部分は、唯この情宜の一点に依頼するに非ざれば、国の安寧を維持するの方略ある可らず。即ち帝室の大切にして至尊至重なる由縁なり。況や社会治乱の原因は常に形態に在らずして精神より生ずるもの多きに於てをや。我帝室は日本人民の精神を収攬するの中心なり。其功徳至大なりと云ふ可し。国会の政府は二様の政党相争ふて、火の如く水の如く、盛夏の如く厳冬の如くならんと雖も、帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば悠然として和気を催ふす可し。国会の政府より頒布する法令は、その冷なること水の如く、其情の薄きこと紙の如くなりと雖も、帝室の恩徳は其甘きこと飴の如くして、人民これを仰げば以て其慍(イカリ)を解く可し。何れも皆政治社外に在るに非ざれば行はる可らざる事なり。西洋の一学士、帝王の尊厳威力を論じて之を一国の緩和力と評したるものあり。意味深遠なるが如し。我国の皇学者流も又民権者流もよく此意味を解し得るや否や。我輩は此流の人が反復推究して、自から心に発明せんことを祈る者なり。
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時事小言
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 …余曾て伝へることあり。金と兵とは有る道理を保護するの物に非ずして、無き道理を造るの器械なりと。蓋し本文の意なり。危険も亦甚しからずや。彼の正論は坐して無戦の日を待つことならんと雖も、我輩の所見に於ては、西洋各国戦争の術は今日漸く卒業して今後益盛んなることとこそ思へ。近年各国にて次第に新奇の武器を工夫し、又常備の兵員を増すことも日一日より多し。誠に無益の事にして誠に愚なりと雖も、他人愚を働けば我も亦愚を以て之に応ぜざるを得ず。他人暴なれば我亦暴なり。他人権謀術数を用いれば我亦これを用ゆ。愚なり暴なり又権謀術数なり、力を尽くして之を行ひ、復た正論を顧るに遑あらず。蓋し編首に云へる人為の国権論は権道なりとは是の謂にして、我輩は権道に従ふ者なり。
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 西洋諸国に物産工業の盛なるは決して偶然に非ず。陰陽五行論の中に教育せられたる我東洋人の未だ及ぶ可らざるや明なり。其業盛なれば其製造は巧にして其価は必ず廉なり。又其物品の運転売買の法に於ても専ら学問上に基き、大体を論ずるには経済学あり、実際に於ては銀行の法あり、保険の法あり、会社の法、簿記の法、些細の事に至るまでも自ら一課学の体裁を成して之を教へ之を習ふて然る後に実地に施す其趣は、恰も師を出すに平生軍法を研究して進退自ら定則ある者に異ならず。之を彼の人々個々の手練を以て商業に従事する者に比すれば固より同日の論に非ず。今この諸国に敵対して工商鋒を競はんとするは実に容易ならざることと知る可し。加之(シカノミナラズ)各国交際の定法、又商売の性質に於て利を争はざる者なし。先方に如何なる不利あるも何等の不都合なるも誰か之を顧る者あらんや。利益を貪り尽して其極度に止まる可きのみ。而して其これを争ひ之を貪るの法一様ならず。或は学者の私論を以てすることあり。英国の如き人力の製造品多くして世界中に輸出を利とするものは、其国の学者大概皆自由貿易の説を主張し、亜米利加(アメリカ)合衆国の如き天然の産物に富て製造未だ盛なるの極に至らざる者は保護の主義を唱え、議論百出止むときなしと雖も、結局自国の利を謀るより外ならず。此れは是れ学者論客の事として、此外に又貿易商売を助ける一大器械あり。即ち軍艦大砲兵備是なり。各国の人民相互に貿易するには各貿易の条約ありて、其取扱に就ては双方派遣の公使・領事等に智愚もあらん。又其人民の商業に巧拙もあらんと雖ども、結局の底を叩て吐露すれば、貿易の損益も亦其国の兵力如何に在て存するものと云て可ならん。
方今合衆国にては諸外国より輸入の製造品に非常なる重税を課すれども、世界中の列国これに嘴(クチバシ)を容(イ)るゝ者あるを聞かず。又英人は阿片を名る毒薬を支那に輸入して、支那人は金を失ひ人命を害し、年々歳々国力の幾分を損すれども之を咎むる者なき其際に、支那の人民が亜米利加に行き節倹勉強して僅に資産を作る者あれば、亜米利加はこれに驚き我国財を失ふとて支那人を放逐せんとするの議あり。現に英領「オースタラリア」州にては、支那人の渡来して同州の金山に働かんとする者あれば、其人別に五「ポンド」の関税を課して恰も節倹勉強者の侵入を防ぐと云ふ。今試に東洋の一国をして亜米利加の例に效(ナラッ)て頓に非常の海関税を課することあらしめなば如何。支那人と英亜人と地位を易へて其事を行はしめなば如何。列国の政府も人民も異口同音、否と云はんのみ。其然る由縁は何ぞや。様々に口実を唱る者はある可しと雖も、我輩は其事の底を叩て、単に国の強弱に由るものなりと明言せざるを得ず。
 又貿易上に恐る可きものは、兵力の外に金力なるものあり。西洋諸国の人民は資産に富む者多くして、凡そ世界中富豪の大半は欧羅巴亜米利加に在りと云て可なり。
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 …外国の交際易からずと雖ども、苟も日本人の名ある者は、直接に間接に之を負担せざる可らず。無事の日に之を忘れざるは勿論、一旦事あるに臨みては財産も生命も又栄誉をも挙て之に奉ずるこそ真の日本人なれ。結局この擔任は日本人の名尽きて止むものと知る可し。
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 …外の艱難を知て内の安寧を維持し、内に安寧にして外に競争す。内安外競、我輩の主義、唯この四字に在るのみ。内既に安し、然ば則ち消極を去て積極に向ひ、外に競争する所以の用意なかる可らず。
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第二編 政権之事
 
 前編に内安ければ則ち外に競ふの用意なかる可らずと云へり。其目甚だ多しと雖ども先づ一、二を挙れば、第一政務の権力を強大にして護国の基礎を立ること、第二にこの大義を実際に施行するが為めに国庫を豊にすること、第三に全国資力の源を深くするが為に農工商を奨励保護して殖産の道を便ならしむること、以上三項は今日我輩の所見に於て至急の急とする所のものなり。譬へば国に政府あるは、猶家に主人あるが如く、会社に頭取支配人あるが如く、又邸地に居宅あるが如し。其家を見るに主人に権なく、其会社に於ては頭取支配人の差図に従ふ者なく、又某邸地を見るに地坪は幾万坪にして主人の居宅は則ち一小茅屋、以て此屋鋪は此家に属し此家を以て此屋鋪を支配すると云ふも、実際不釣合にして屋鋪中を支配することも難く、隣屋鋪と竝立して交際も叶はぬことならん。何れも皆事物の権衡を失ふものなり。左れば一国あれば其大小貧富に準じて一政府を立て、政府と国と至当の釣合あるものなるに、今我日本国と日本政府との大小は果して其釣合を得たるものと云ふ可らず。是れ我輩が前の三項を以て急とする由縁なれども、読者は果たして之に異議なき歟。我輩竊(ヒソカ)に思ふ。今の学者論客に於ては必ず少しく之に異議ある可しと。如何となれば、学者論客は近年に至て漸く民権なることを唱へ出し、今の政府の行政上に向て攻撃を試み、政府の一挙一動、これも非なり其れも不都合なりとて、演説に新聞に、其目的とする所は結局政務の権力を縮めて民人の権力を伸さんと欲する者なればなり。譬へば長さ一尺の権力を官民の間に争ひ、一寸にても政府の権を縮むれば、其縮まりたる長さは人民に帰するものと思ひ、只管(ヒタスラ)政府の退縮を熱望する者の如し。固より彼の少年血気の輩が巡査と大議論して曲直を争ふが如きは、深く咎るに足らずとして之を擱くも、或は天下の与論を写出すなどゝ自ら称して自得する学者論客に至るまでも、其実は熱心煩悶して方向を分たざる此時に当て、政務の権力を強大にする云々と説来たらば、未だ其説の半をも聞かずして先づ否と云ふことならん。我輩其情を知らざるに非ずと雖ども、試みに其人の為に惑を解かざるを得ず。蓋し世の学者論客は其思想に混雑する所のもの有て、明に躬から其企望を訴ること能はず。或は之を訴るも、其これを訴る所以の原由を明にするを得ず。之譬へば朴訥不文なる田舎漢(イナカモノ)が、病に罹り其医療を希ふて、躬から容体を訴ること能はず者の如し。我輩試に代て容体を述べん。若し其所述のもの果して患者に敵中しるあらば、同病相憐むの情を以て今後共に方向與にす可きなり。

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