真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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沖縄返還と日米密約(極秘文書) NO2

2012年10月22日 | 国際・政治

 日米間には、日本の国家主権に関わるような主従関係が「密約」の形で存在するようである。ここでは「ゼロからわかる 核密約」石井修(柏書房)から、「第3の密約 ── 沖縄への核再持ち込み」と題された部分の一部を抜粋した。沖縄返還と関わって取り交わされた密約である。「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則を、国の方針として掲げた佐藤内閣が、裏ではアメリカの要求を受け入れて、それに反する密約を取り交していたのである。
 この密約の存在は、当時の佐藤栄作首相の密使として交渉に当たった若泉敬の回顧録「他策ナカリシヲ信ゼント欲ス」やアメリカ側の公文書、および、アメリカ側で交渉を担当したキッシンジャーの回顧録、佐藤首相の署名入り密約文書の発見、その他によって裏付けられている。
 しかしながら、日本の外務省は、正式な外交ルートを通さない密使による、いわゆる「裏チャンネル」で作成された文書は、公文書として認めない、という。両国家の最高指導者がフルネームで署名した文書であるにもかかわらず、私文書だというのである。また、佐藤首相が自宅に保存した密約文書を後継者に引き継いだ様子がないので、佐藤内閣かぎりでこの密約は失効した、ともいう。そんな勝手な解釈でその都度言い逃れをしながら、日本の外交が進められていいものか、と思う。アメリカ側はこの密約文書を国立公文書館に所蔵しており、情報公開制度に基づいて公開しているのである。密約の問題そのものと同時に、きちんとした情報公開制度について考えることも、これからの日本には重要な課題だと思う。
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           第3の密約 ── 沖縄への核再持ち込み

 キッシンジャーと若泉
 密命を帯びた若泉は、日米首脳会談を2ヶ月後にひかえた1969年(昭和44)の9月にワシントンへ飛びました。ニクソン大統領の大統領補佐官(安全保障問題担当)となったキッシンジャーと打ち合せをするためです。若泉は、繊維に関するものと核兵器に関する2枚の紙切れを渡されます。

 「繊維」とは、このとき停滞気味だった日本からの化学繊維と羊毛製品を輸入規制することについてのアメリカ向けの交渉のことですが、ここでは「核」のほうだけに触れておきましょう。

 若泉は渡された2枚目の紙の内容を、日本に戻った佐藤に次のように報告します。『緊急の非常事態に際しては、「アメリカ側の」事前通告だけで核の再導入を認めることを保証してくれ、さもなければ沖縄は返せないというのが、いまや軍部だけでなく、ニクソン大統領自身の意思であり、かつ決定なのです』と。「向こうがどうしても書いたもので保証してくれ、と固執して譲らない場合は……合意事項に残し、首脳二人がイニシャルだけサインするというのはどうですか」と、若泉はたたみかけるように佐藤に進言したのです。

 英文略

 極秘----------------------------

 返還後の核作戦を支援するための沖縄の使用に関する最小限の必要事項

1、緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ち込むこと、および通過刺せる権利
2、現存する左記(下記)の核貯蔵地をいつでも使用できる状態に維持し、かつ緊急事態に際しては活用すること。
  嘉手納
  辺野古
  那覇空軍基地
  那覇空軍施設
  および
  現存する3つのナイキ・ハーキュリーズ基地。

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 ・・・
 首脳会談が目前に迫った11月の初め、若泉は再び渡米し、キッシンジャーと密約に入ります。電話連絡の際に盗聴されることも考慮して、まずは二人で暗号を決めます。キッシンジャーを「ドクター・ジョーンズ」、若泉を「ミスターヨシダ」、ニクソンと佐藤はそれぞれ「私の友人」や「あなたの友人」とすることになりました。

小部屋で交わされた密約
 さて、このとき若泉はキッシンジャーに密約の具体的な文案を示し、二人で推敲します。佐藤が「特別な取り決め、協定、条約などは一切いやだ」と言っていたこともあり、二人で練り上げた文章は「合意議事録」という名目になりました。しかしこれは、「特別の取り決め」そのものだったと思われます。 

 これに関する段取りが、若泉とキッシンジャーの間で決められます。大統領執務室での日米首脳会談の最中、その隣にある「小部屋」にニクソンが美術品を見せたいと言って佐藤を誘い、通訳も交えないで秘密文書に「イニシャル」(頭文字だけの署名)する、という筋書きでした。サインした文書はそれぞれ一通ずつ、公邸の金庫に保管されることも決まっていました。

 実際の首脳会談のときには、この筋書きとは多少違っていたようです。この小部屋にキッシンジャーがすでに待っていたこと。ニクソンがイニシャルでなくフルネームで署名したため、佐藤もそうせざるをえなかったことです。うがった見方をすれば、アメリカ側がこの「合意議事録」を少しでもより公式的なものにするためにわざとフルネームでサインした、と考えることも可能です。「ヨシダ」が「ジョーンズ」に国際電話を入れて確認したところ、「小部屋の件はうまくいった」という返事が返ってきたからです。

回顧録に記された密約の全容
 若泉はそれから20年余りへた1994年(平成6)600ページをこえる回顧録を発表し、自分は佐藤の密使であり沖縄の核密約をキッシンジャーとともに作成した。と名乗り出ます。

 ・・・
 英文略

 極秘----------------------------

署名入り密約文書の発見

 ・・・
 ところが、2009年(平成21)の暮れも近い12月23日、佐藤のフルネームでサインした文書が発見されたことが、主要新聞で一斉に大きく報道されたのです。佐藤の自宅の机の引き出しの奥深く埋もれたままになっていたのを、通産大臣を勤めたことのある次男・佐藤信二氏が発見したのです。

 1969年11月21日発表のニクソン米国大統領と佐藤日本国総理大臣との間の共同声明についての合意議事録(草案)

米国大統領
 われわれの共同声明に述べてあるように、沖縄の施政権が実際に日本国に返還されるときまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去することが米国政府の意図である。そして、それ以後においては、この共同声明に述べてあるように、米日間の相互協力及び安全保障条約、並びにこれに関連する諸取り決めが、沖縄に適用されることになる。

 しかしながら、日本を含む極東諸国の防衛のために米国が負っている国際的義務を効果的に遂行するために、極めて重大な緊急事態が生じた際には、米国政府は、日本国政府と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とするであろう。さらに、米国政府は、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態にしておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できることを必要とする。

日本国総理大臣
 日本国政府は、大統領が述べた前記の極めて重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたすであろう。

 大統領と総理大臣は、この合意議事録を2通作成し、1通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最大の注意をもって、極秘裏に取り扱うべきものとする、ということに合意した。
                                    1969年11月21日
                                     ワシントンDCにて
                                       ニクソンの署名
                                         佐藤の署名
                                  


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