真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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満ソ国境紛争処理要綱とノモンハン事件

2008年03月21日 | 国際政治

 先ず、ノモンハン事件に関わる関東軍司令部下達の『満ソ国境紛争処理要綱』第三項と第四項を抜粋したい。こんな処理要綱』を作成する関東軍作戦課、また、それを下達する関東軍司令部、さらには、「大本営からは、関東軍にたいし国境を明示したことはない。関東軍にまかせていた」という参謀本部作戦課長稲田正純の無責任な言葉、驚くほかはない。これでは、戦争になって当然あると思われる。

第三項  -----------------------------
 「国境線の明瞭なる地点に於いては、我より進んで彼を侵さざる如く厳に自戒すると共に、彼の越境を認めたる時は、周到なる計画準備 の下に十分なる兵力を用い之を急襲殲滅す。
 右の目的を達成する為一時的に『ソ』領に侵入し又は『ソ』兵を満領内に誘致滞留せしむることを得」

第四項-------------------------------
 「国境線明確ならざる地域に於いては、防衛司令官に於いて自主的に国境線を認定して之を第一線部隊に明示し、無用の紛糾惹起を防止すると共に第一線の任務達成を容易ならしむ。
 而て右地域内に於いては必要以外の行動を為さざると共に苟くも行動の要ある場合に於いては、至厳なる警戒と周到なる部署を以てし、万一衝突せば兵力の多寡ならびに国境の如何に拘わらず必勝を期す」

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 次に「ノモンハンの夏」半藤一利(文春文庫)より、ノモンハンというところについて書かれた部分や事件のきっかけとなる部分を抜粋する。
●ノモンハン----------------------------
 ノモンハンとは小さな集落の名である。原義はラマ僧の役職名であるという。最高位の活きぼとけをフトフクといい、ノモンハンはそのつぎに位置した位である。その地に有名なラマ僧の貴人の墓があったことから、地名になったものとされている。
 そのむかしには、ノモンハンとは蒙古語で平和という意味であるとしきりにいわれていた。それはどうやら間違いであるようであるが、このへんをホロンバイルといい、広さはざっと九州ぐらいで一望千里、無人の、広漠とした砂丘と草原が海のように広がっている。ひざの高さに草が茂っているだけで、山もなく、一本の樹もなく、なだらかな起伏が大波のようにゆっくりとつづき、四方の稜線は地平線で雲と接している。羊の群れを追う蒙古人が牧草をもとめてそこを行き来する、牧歌的な、まことに平和そのものの草原地帯ということから、そういわれてきたらしい。
 とくに夏のノモンハン周辺は草の丈が高く、牧草としても上等で、放牧の蒙古人が落ちあう憩いの場所でもあった。そこの井戸の水は動物にも貴重この上ない真水である。
 実は、この水が問題なのである。ホロンバイルには、その名の起こりでもあるホロン湖とボイル(バイル)湖をはじめいくつかの湖沼あるが、そのほとんどが塩水。たいしてハルハ河と、その支流のホルステン河は透明な真水であり、馬や羊にのませるためにもその真水はありがたかった。
 ところが、満州国が成立していらい、ハルハ河が国境線とされ、ノモンハン付近は満州国領内に組み入れられた。ノモンハンの国境警察分駐所には、警士五名が配置され、満州国側がきびしく目を光らせた。そのことを認めない外蒙古側は「失地回復」の意味もあり、しばしば家畜をおって、ハルハ河を越えて進出した。このとき少数の外蒙古軍が護衛についてきた。満州国軍からみればこれは「越境」となる。

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 さらに、実際にノモンハンの地に行ってきたという西牟田靖氏の「僕の見た大日本帝国」(情報センター出版局)から抜粋する。
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 日本では「事件」と事の大きさを矮小化しているが、「飛行機や戦車が参加した世界で初めての大規模な立体戦争」と斎さんが語るとおり、中国では「ノモンハン戦争」モンゴルでは「ハルハ河戦争」と呼ばれていて、それは、日ソが蒙古と満州の国境線をめぐって戦火を交えたまぎれもない戦争だったことを示している。五月から九月という短い期間の「限定戦争」だったが、それは終戦時の日本の悲劇的な結末をすでに示唆したものだった。
 当時このあたりの国境ははっきりと定まっていなかったという。遊牧民の土地だから国境を定めてしまうこと自体に無理があると思うのだが、双方の国の主張が対立していた。満州国(日本)はノモンハンよりもモンゴルよ寄りのハルハ河を国境とし、モンゴルはハルハ河を越えたノモンハン付近までを領土とみなしていた。
 モンゴル軍がハルハ河を「越境」したのを満州国軍が攻撃したのが武力衝突のきっかけだった。


            http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
          全文と各項目へリンクした一覧表があります。

コメント (1)
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