「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

大日本史と神祇志について

2018-05-15 05:50:34 | 藤原氏

1 大日本史と神祇志について(ウィキペディアなどによる)
(1) 大日本史は1657年(明暦3年)に編纂作業が開始され、編纂が終結するのが1906年(明治39年)と、実に250年もの長きに渡り続いた。
 まず「旧紀伝」と称されるものが完成する(1680)。天和二年(1682)に史臣の山県源七(元纜)が上京した機会に、公家の 土御門泰福 という人に、水戸からこういう書物を編修して差し上げるのは如何なものでしょうか、是非陛下にうかがって頂きたいと、光圀の意向を伝えた。霊元天皇は大変喜ばれ、是非献上せよ、とのお言葉があった。ところが、これを全面的に書き直すようにという命令が出る。そこで今まで編纂した「紀伝」は廃棄されることになり、新たに「新紀伝」の編纂が始まる(1683)。
(2) 徳川光圀の隠居(1690年)後 
元禄6年(1693年)から数年間、水戸藩領内において、八幡改めまたは八幡潰しと呼ばれる神社整理を行う。
元禄7年(1694年)11月23日、小石川藩邸内で幕府の老中や諸大名、旗本を招いて行われた能舞興行の際、重臣の藤井紋太夫を刺殺した。
元禄13年12月6日(1701年1月14日)に食道癌のため死去した。享年73(満71歳没)。
徳川光圀の正室である近衛信尋の娘・尋子(泰姫)は結婚5年後に21才で病死している(1658年)。
(3) 光圀が史員に命じた歴史叙述の方法は、「正確に事実を究明して記述すれば、そのことの意味はおのずから明白となり、その事実を明らかにするために必要な事項は繁雑をいとわずこれを記載せよ。そのように厳正に記録された事実は「善は以て法と為すべく、悪は以て戒と為すべし、而して乱賊の徒をして懼るる所を知らしめることになるであろう」という。
 歴史編纂事業は進められて行くが、明治維新の時に出来上がったのは「紀伝」だけである。
 「志(神祇志など)」・「表」を含む大日本史編纂事業が終結するのは1906年(明治39年)である。
 神祇志は神祇官や出雲大社や伊勢神宮について書いている。
 神祇官は7世紀以来の律令体制下で、太政官と並ぶ中央最高官庁。朝廷の祭祀をつかさどり、諸国の官社を総轄した。明治4年(1871)神祇省と改称。現在の神社本庁はその流れにある。

2 私見
(1) 1581年(天正9年)、羽柴秀吉は鳥取城を兵糧攻めで落城させ、因幡国の鹿野・私部・若桜・岩常・雨滝などは秀吉方の城となっていた。因幡の神社の多くは秀吉の焼き討ちにあっている。鳥取城の落城後、毛利方は吉川元春が馬ノ山砦に、織田方は羽柴秀吉が御冠山の陣に布陣し対峙した。毛利方は6千騎、対する織田方は6万騎と約10倍以上の兵力差があったが、羽柴秀吉は吉川元春と直接刃を交えることなく播州へと撤兵している。それは、鳥取県中部に倭国の都があったことを知っていた藤原氏の指示と思われる。羽柴秀吉は、後に近衛の養子になり藤原の姓を名のる。この事実を徳川家康は知っていた。徳川幕府は明治維新まで鳥取県中部を優遇していた。
(2) 元禄時代に主に西日本の各地で歴史の辻褄合わせ(整合)をしているが、徳川光圀の「旧紀伝」を見た藤原朝廷は光圀が指摘した矛盾をなくすために各地で歴史の辻褄合わせ(整合)をしている。徳川光圀は奈良時代に藤原氏が倭国を乗っ取ったことを知っていた。隠居後の八幡潰しや藤井紋太夫の刺殺がそれを示している。藤原氏は時間をかけて大日本史の改ざんをしていった。古事記・日本書紀の改ざんと同じである。序文に徳川光圀の信念を残しているのも、内容の信憑性を増すためである。古事記序文に天武天皇の編纂理由を残しているのと同じ効果を狙っている。
 元禄時代に藤原氏は倉吉市大原の波波伎神社を八岐大蛇伝説と切り離すため大原神社とし、事代主のいた福庭の神社を波波伎神社とした。また岡山県の石上布都魂神社の宮司の名前を物部にし、スサノオが十握剣を洗った血洗いの滝を造ったのもこの頃と思われる。茶臼山の松樹庵にいた世出開了行者◯◯信女が亡くなったのと、北栄町下神の三輪神社が火災により焼失したのがどちらも1700年代であり、これも歴史の辻褄合わせ(整合性)のためにされた。藤原氏が仕掛け人と思われる。
 明治9年に鳥取県は島根県に併合される。理由は「鳥取県民がうるさかったから」とする。鳥取県神社誌を見れば鳥取県民が明治政府(藤原氏)に文句を言った理由がわかる。


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