文章を書いている時、案外、マンネリ化してしまうのが「接続詞」の用法である。
実用文の場合、論理のつながりが重要になってくるので、
接続詞の使い方には神経質にならざるを得ないのだが、
いつの間にか同じものを繰り返し使っていたりすることも珍しくなく、
ついつい自分の語彙力の乏しさに天を仰ぐ気持ちにさせられる。
たとえば、逆接の接続詞で頭にすぐ浮かぶものとしては、
「しかし」、「だが」、「ところが」といったところであろうか。
従来、こうした接続詞の用法に関しては、
単に語句の重複を避けるという理由で、割と気分次第で使い分けていたけれども、
実を言うと、これらはそれぞれ異なったニュアンスを帯びており、
本来、きちんと使い分けなければならないそうである。
いやはやまったく知らなかった。
学生服を着ている頃に、もっと真面目に作文の授業を受けておけば良かったなぁ。
悪い友人たちに教えられて、麻雀に夢中になっていたのは失敗だったなぁ。
こうした基本的な作文上のルールは、今更ながら人に聞けないし、
聞いたところでバカにされる可能性が高いので、
結局、聞くことができないまま、正しい知識が得られずに終わってしまいかねない。
そこで、ハウツー本の出番である。
世間的には、ハウツー本を買うことは恥ずかしいと思っている人もいるようだが、
一体全体、何が恥ずかしいのかよく分からない。
分からないものや知らないものについては、
ひとまずハウツー本でコツや基本をつかんでおいた方が合理的である。
誰にも尊敬されない見栄を張っても仕方ないと思う。
さて、接続詞の問題だが、
幸い、この問題に関しては、新書で手軽に読める文献が出ているので、
それを参考にするとよいだろう。
石黒圭
『文章は接続詞で決まる』
光文社新書、2008年
本書は冒頭、接続詞は論理をつなぐものではないと指摘する。
たとえば、次のような文章があったとしよう。
1)「昨日、私は徹夜で勉強して、今朝の試験に臨んだ。しかし、結果は0点だった」
2)「昨日、私は徹夜で勉強して、今朝の試験に臨んだ。しかし、結果は100点だった」
どちらも逆接の接続詞「しかし」を使っているが、導かれた結論は正反対である。
それでも文脈に違和感を覚えないのは、
1)の文章では、試験に向けた準備を直前まで行なっていたにもかかわらず、
その準備が功を奏さなかったという意味での「逆接」が成立しているからであり、
2)の文章では、試験に向けた準備を直前まで行なっていなかったにもかかわらず、
その結果が意外なものであったという意味での「逆接」が成立しているからである。
つまり、接続詞というのは、接続詞のみで論理が成立するといった性質のものではなく、
文脈に応じた推論の仕方を導くものだと言えるのである。
したがって、次のような文章も成立する。
3)「駅前のラーメン屋は安い。しかしまずい」
本来ならば、逆接の接続詞である「しかし」だが、
この文章だけでは、「安い」と「まずい」の間に逆接の関係は成立していない。
むしろ、並列の関係というべきであろう。
だが、書き手が「安くて美味い」という前提をもっていたとすれば、
ここに逆接の関係を見出すことができるのである。
ちなみに、「しかし」は、文章の展開を積極的に切り替える意味合いを持つ接続詞であり、
「だが」は、先行文脈で示されなかった事実や書き手の意見を出すための接続詞であり、
「ところが」は、想定外の展開を表す逆接に使う接続詞とのことである。
本書は、逆接の接続詞も含めて、14の接続詞系をそれぞれ検討して、
その用法や意味合いが丁寧に解説されている。
また、「~からである」や「~だけではない」など、
ともすれば忘れられがちな文末に置かれる接続詞的な表現に関しても注意が払われており、
文章を作る上でのヒントになるポイントが多く紹介されている。
巻末に索引が付されているので、てっとり早く用法を知りたい時は、
そこから辿って確認するのも良い。
自分の文章を少しでも分かりやすくしたいと思っている人は、
一度、目を通してみても損はない一冊である。