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History, Strategy, Ideology, and Nations

『外交フォーラム』の廃刊

2010年03月07日 | NEWS & TOPICS
 3月8日付産経新聞で、東京大学の山内昌之教授が、
 昨秋、行なわれた民主党の事業仕分けによって廃刊に追い込まれた『外交フォーラム』について、
 編集にも関わった人物の一人として、無念の思いを吐露している。

 この雑誌は、1989年に発刊され、日本からの情報発信を目的として、
 日本語版のみならず、英語版の発行も行なうなどして、
 いわゆる「パブリック・ディプロマシー」の推進を図ってきたのだが、
 今月の4月号をもって、最終号となってしまった。
 山内教授自身、事業仕分け会場に足を運んで、廃刊阻止のために弁舌を揮ったが、
 その願いはむなしく、今回、こうした結果となってしまったのである。
 
 個人的には、民主党が行なった事業仕分けは正しかったと思っている。
 『外交フォーラム』の件も、率直に言って、廃刊となっても何の損失にもならないだろう。
 実際、英語版を普及しているからと言って、
 欧米のメディアで、『外交フォーラム』の論文引用を目にすることは滅多にない。
 外交政策の形成の上で、国内世論の動向は非常に重要な要素であるが、
 日本における世間一般の知名度からしても、
 『外交フォーラム』を片手に各政党のマニフェストを検討する人など皆無に等しいだろう。
 
 山内教授は、この雑誌が欧米のみならず、東欧や中東、アジア、南米といった国々を取り上げ、
 地球環境や科学技術の問題などにもアプローチしていた点を評価している。
 だが、これまで何度か『外交フォーラム』を読んだ印象としては、
 書き手の踏み込みが非常に浅く、
 そこにどのような利益追求や戦略的発想が働いているのかといった分析はほとんどなかった。
 また、地域紛争やナショナリズムの問題も積極的に取り上げていたように思われるが、
 現状リポートのような内容ばかりで、まったく読み応えがなかったことを記憶している。

 その一方で、ジョージ・ケナンや高坂正堯など、
 時代を代表する知識人を取り上げた功績も指摘しているが、
 こうした企画は、いわゆる「オピニオン誌」と呼ばれる雑誌でいくらでも論じられてきたものであり、
 なぜ『外交フォーラム』が同じような企画を立てる必要があるのか分からなかった。
 しかも、彼らが残した功績は、その裏に隠れた様々な負債とともにあるはずなのに、
 そうした部分は言及されないままであったことは、議論の内容としても低レベルと言わざるを得なかった。

 果たして『外交フォーラム』が、たとえば米国の『Foreign Affairs』のように、
 世界で多くの国際政治学者に読まれてきた雑誌だったかというと、まったくもって疑問であるし、
 一般国民の間でも、広く読まれていたわけではなかったという現実を踏まえた時に、
 廃刊という判断は間違っていないと思う。
 もしこれが本当に「パブリック・ディプロマシー」を念頭に置いて進めた事業であったならば、
 それこそ綿密にマーケティングを実施し、有効性の高い記事内容を並べなければならなかった。
 そうした努力もせず、どこか「サロン」的なムードを醸しつつ、
 しかし、それほど鋭い論文も記事もないとなれば、打ち切りも止む無しであろう。
 無駄な税金が投入されなくなったことは吉事である。

 もう一つ付け加えると、発行元である都市出版が外務省の天下り企業となっていることに、
 山内教授が一切、触れていないのは、どういう理由なのだろうか。
 自分の職分に関わる領域では、そうした行為も容認するということか。
 それとも、 ご自身も国家公務員である以上、やがてどこかの私立大学に「天下り」するという算段から、
 官僚の天下り行為は基本的に問題なしという立場なのだろうか。
 もしそうした感覚であったとしたら、まさしくそれこそ国民感覚から遊離しているのであり、
 そうした感覚で作られた雑誌が、ついぞ高い人気を集めるはずもなかったのである。